家族がいてもいなくても 「お一人さま」の覚悟
ついに痛みが底をつき、ゆっくり快方へとカーブを切ったという感じ。
もしかしたら治るかもしれない。小走りに走るなんてこともできるかも、と思ったら、うれしくて気分が急上昇。いきなり前向きになってきた。
痛くても動かさないでいると、ダメになるだけよね…と、休んでいたパドル体操もついに開始。
さらに、部屋に常にヨガマットを広げておき、仕事の合間に体をねじったり、足を持ちあげたりと、これまでになく頑張っている。
とりわけ、足腰を鍛え直して、車の運転だけは、せめてあと5年は続けたいと願っている。
というのも、里山の美しい風景の中を一人でドライブに出掛ける楽しみを、私はどうしても手放したくないのだ。
わがコミュニティーハウスの周辺には、この数年間に自分で見つけた「好きな場所」がいくつもある。
とくに秘密の場所というわけではないけれど、数日間、部屋にこもっていると、気持ちがその場所へと誘われてしまう。
たとえば、そこは那須連峰が一番、「雄々しく見える場所」であったりする。
広い原っぱの中央に、1本だけすっくと立ち続ける雄々しいこぶしの大木だったりする。
その大木には毎年、花がまるで白いチョウの群れのように咲き誇り、いつまでも眺めていたくなる。
この一人ドライブの途中には、立ち寄りたくなる小さなカフェなどもあって、そこで飲むコーヒーになんとも安らぐのだ。
思えば、子供の頃から一人遊びが好きだった。
裏山近くに自分の隠れ場などを設けていて、なにかとそこに行っていた。
夕方になると、2歳上の兄が母に言われて、自転車で探しにやってきた。
「早く、帰るんだからっ」
怒ったように、めんどうくさそうに言われたことをいまだに覚えている。
「三つ子の魂百まで」というけれど、どんなに年を重ねても、そういう性癖は、一生変わらないのだな、と思う。
そんなわけで、「膝が痛くて歩けない」という危機に陥って、ついに私も目が覚めたのだ。
自分を守るのは自分しかいない。最期まで、自立自助を貫く気持ちで生き抜かなきゃならないのね、と。
(ノンフィクション作家 久田恵)