記憶と記録のあわいで、未来を考えるために。学芸員・佐々木蓉子が語る「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」
1958年生まれの奈良は、1987年に愛知県立芸術大学大学院修士課程修了後、1988年に渡独。国立デュッセルドルフ芸術アカデミーを修了し、ケルン在住を経て2000年に帰国する。同時期弘前では、当時の煉瓦倉庫のオーナー・吉井千代子氏(吉井酒造株式会社社長)が、雑誌で見かけた奈良の作品に強く惹かれていた。自分の倉庫で展示をしてもらうことはできないかと、奈良が所属していたギャラリーなど各所に問い合わせたのである。このことをきっかけに煉瓦倉庫の内部に初めて足を踏み入れた奈良もまた、この空間での展示を望んだ。結果として、2000年より横浜美術館を皮切りに全国巡回が予定されていた展覧会「I
DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(以下「I DON’T
MIND」)の最終地として、煉瓦倉庫での開催への道が探られた。同展は奈良にとって国内の美術館初の本格的な個展であり、その後の国内での活動の展開の契機となった。
「奈良美智展弘前」は当時、「事件」「奇跡の展覧会」とも呼ばれたが、その所以のひとつは運営・企画から設営準備、会期中の仕事の多くが実行委員会を核としたボランティアスタッフの尽力によって担われたことにあった。展覧会は想定を超える大盛況となり、煉瓦倉庫を基点に街や人々が熱気に包まれた。当時の実行委員会の有志が中心となり、2003年には青森県初のアートNPOとして、NPO法人「harappa(はらっぱ)」が誕生した。このharappaを運営の母体として、その後もボランティア主体での二つの展覧会「From
the Depth of My Drawer」(2005)(以下「From the Depth」)、「YOSHITOMO NARA + graf A to
Z」(2006)(以下「A to
Z」)が開催される。美術館のなかった弘前の地における三度の展覧会の成功は、「煉瓦倉庫を街のあらたなアートの拠点に」という市民の意識へと結びついた。
本展は、三度の「奈良美智展弘前」について、初回の2002年の開催から20年が経ったいま振り返り、未来の美術館や街のあり方を来館者とともに考えたいという思いから生まれたものだ。奈良の個展ではなく、あくまでも「美術館と市民がつくるもの」という前提のもと、立ち上がった。過去を懐かしく思い返すだけではなく、三度の展覧会が街や人に残したものが現在や未来に接続していることを示唆し、当時を直接知らない人にとっても新たな発見が生まれうる契機となることを目指したいと考えた。
自分自身が当時を直接経験していないという立場から、関わった方々の思いに真摯に耳を傾けることが、担当としてまずできることであった。関係者へのインタビューやヒアリング、資料の提供など、当時の実行委員会の方々をはじめとした本当に多くの方に協力を頂いた。そうしたなかで、当時を知らなかったからこそ新鮮に感じられることや、「奈良美智展弘前」での具体的な事例からほかの場所での出来事にもつながりうるテーマ(「美術館以外の展示空間」「ボランティア」「まちづくり」……)として、ドキュメント展として構成するうえでの要素を抽出していった。
全体の会場構成は、デザイナーの山本誠に依頼した。「奈良美智展弘前」のうち、2度目の「From the Depth」、3度目の「A to
Z」のグラフィックデザインを手がけた山本は、当時のこの場所のエネルギーを肌で感じていたひとりだった。
印刷物や新聞記事などの資料を示す展示室では、来館者が静かに鑑賞することをうながす場ではなく、眺めて感じたことを各自思い思いに口にしやすいような、ある種雑然とした賑やかな場を目指した。そのため、段ボールや木材など異なる質感の素材を組み合わせて資料展示のための土台や額とすることで立体的な印象を持たせつつ、当時煉瓦倉庫を包んだ暖かさが伝わるような見せ方を検討した。また、インタビュー映像のほか、関係者の言葉を各所に紹介し、モノの資料とともに、展覧会に関わった人々の声で空間を満たすこととした。
会場風景や展覧会準備の様子をとらえた写真家の永野雅子(2002、2005、2006年撮影)と細川葉子(2006年撮影)の写真を紹介する空間、そしてその先の、当時出展された奈良作品の一部を紹介する空間は、廃材を用いて建てたいくつかの小屋で構成した。過去に遡れば、「I
DON’T MIND」から、奈良は自らのドローイングのための小さな空間を展示室の中につくり上げていた。「From the
Depth」で、クリエイティブ集団・graf(グラフ)が展示空間のデザインや造作に携わることとなる。協働の集大成となった「A to
Z」では、煉瓦倉庫内部にAからZまでの大小の小屋が建ち並び、その中に奈良の、また奈良やgrafと親交のあるアーティストらの作品が展示された。「A to
Zの空間の面白さが強く記憶に残っている」という山本は「(会場構成を手掛けるにあたって)『どうしたら良いんだろう』と悩むようなことはなく、『当然小屋はつくるだろう』『当然薄暗い空間で奈良さんセレクトの曲が流れているだろう』とイメージがあたり前のようにできた」と開幕後に振り返っていた
。
会場構成は、固まってきたプランを奈良にも何度か見てもらうかたちで検討を進めていった。そうしたなかで「綺麗に仕上げられた小屋ではなく、美術館になる前の煉瓦倉庫が持っていた風通しのよさやアナーキーさが伝わるようなものにしても良いかもしれないね」とコメントがあった。煉瓦倉庫が過去からいま現在まで存在してきた時間の層の厚みが質感を通して見えるかたちは、たんなる過去の再現を超えることを試行する本展のあり方にぴったりだと感じた。こうしたやりとりを背景に、「I
DON’T
MIND」で展示されたドローイングを見せるための小屋では、隙間のあいた屋根や、黒い経師紙を粗く剥がした壁を取り入れた。素材の組み合わせのディテールは、会場入りした山本が現場で「三次元の空間にドローイングを描くように」
決めていき、当時の空気感を色濃くまとうような空間が出現した。
過去の資料をいかに見せるかということと同時に、既述のように、過去に煉瓦倉庫で起きた出来事と、現在の美術館の姿を接続し、未来への思考とつなげるかが、本展が抱える大きな問いとなった。その応答のひとつのかたちとして、「奈良美智展弘前」から次世代へ伝播した創造性のひとつのかたちを提示するために、佐々木怜央の展示を位置づけた。高校2年生の時「A
to
Z」にボランティアとして参加した佐々木は、当時の体験から、アートを通して多くの人とつながる可能性を感じたという。本展では、当時受け止めたエネルギーを時間をかけて昇華し、ガラスの素材を中心に制作している作家の現在の表現を紹介した。
加えて、隣接する空間では、奈良美智展を直接体験していない10~20代の参加者が三度の展覧会についてリサーチを重ね、考えたことを朗読劇の形式でアウトプットする「もしもし演劇部」
の活動とそのアーカイブのための場(「もしもし演劇部部室」)を設えた。「演劇部」の参加者たちはモノとして残された当時の資料、あるいは関係者から語られるエピソードから想像力を膨らませ、新たなストーリーを構築していった。彼らは過去に起きた出来事をなぞり、再現するのではなく、約20年後を生きる自分たちにとっても面白く感じられるものを選び出し、とらえ直し、消化しようとしていた。そこには、“大成功をおさめた展覧会”として代々的に語られる際には見えてこない「奈良美智展弘前」の輪郭が浮かび上がっていたように感じられた。
本展で取り上げ切ることができなかった三度の展覧会を巡る要素に目を向け、考察を続けることは、今後も美術館の向き合うべき課題である。だが、つねに問いにぶつかりつつも、関わった人それぞれの「記憶」が、パブリックな「記録」として世代を越えて開かれることで、異なる解釈を内包していく過程に立ち会えたことは担当として非常に大きな体験であり、開館3年目の当館のあらたな出発点となったように感じている。