江戸時代のキャリアウーマン「奥女中」…その「有能ぶり」が圧倒的だったと言えるワケ
奥女中は歳暮などの年中行事、元服などの通過儀礼でも大きな役割を担った。儀式空間の装飾、礼装の準備、祝宴の給仕など業務範囲は多岐にわたる。
大名家同士の交流は文書を通じて行われることも多かったが、手紙の作成も奥女中が担った。相手の家の格式によって、言葉遣いをはじめ、手紙の執筆者、作法が厳格に定められ、彼女たちは膨大な知識を頭に入れなければならなかった。
泰平の世が続いた江戸では、60歳を超えて生きる人も多くなっていた。だから、高齢で現役を続ける奥女中も少なくなかった。紀伊徳川家の人事記録『附込帳』によれば、当家で「御役御免」として引退が許されるのは、80歳以上の年齢か、勤続50年以上が目安だったという。
というのも、年功を積んだ奥女中に対して大名家は年齢を理由に引退を迫ることは稀で、むしろ主人が存命のうちは老練した仕事の継続に期待していたからだ。
江戸の繁栄は奥女中たちの日々の働きによって支えられていたのである。
「週刊現代」2023年6月17日号より