家族がいてもいなくても (732)大丈夫か、私…
タイトルは「想定外の人生をポジティブに生きる」。
世界がこんなに暗い想定外の状況に陥っている中、ポジティブにはなりようもないのに、と思う。
が、決めたのは私。
かなり前の企画で、その頃の私は随分と前向きな気分でいたに違いない。
ともあれ、約束した仕事だ。膝が痛いとか、落ち込み中とか、言い訳はできない。ポジティブにこなさねばならないと、数日前から焦っていた。
思えば、那須に来て以来、仕事モードのスイッチが切れがちになる。時々スイッチを入れて頑張る、という状況だけれど、その入れ方もなんだかおぼつかない。
講演は午後1時半から。
その前にリモートの立ち上げテストをする手はずで、この手順も私はよくわかっていない。なぜかつながってやれちゃっていることが不思議なほどで、それゆえに毎回、不安に襲われるのだ。
早めにお昼の三色そぼろ丼を取りに行き、食堂のシェフにぼやいたら、「大丈夫だよ」と言われた。
自分のハウスへと戻った後は、リモート用のライトを仕込んだり、パネル代わりにスケッチブックに貼った写真の見せ方を練習したり。
さらに髪を整え、いつもはやらないメークをし、いつもは着ない服に着替え、背景にぐちゃぐちゃの部屋の様子が映り込まないよう調整を施した。
さて、それでは話す内容を点検し、時間の配分をしなきゃと思ったらもう時間切れに。
そのまま本番に突入した私は、自分の人生がどんなに想定外の連続だったかをしゃべりまくった。
それをどうポジティブに乗り越えたかという肝心なところを話すまでには至らずじまいに。
せっかく準備した資料も使いこなせず、見事な尻切れトンボとなってしまった。
最後は画面には見えない方々に手を振りながら、ごめんねえ、と言いつつ終了したのだった。
なんと手順の悪い一日だったことか。
コロナ以後、次々と新しくなる仕事のやり方についていくのは大変だなあ、と思いながら、すごすごと夕食を食べに行った。
そこで「この頃、大丈夫か、私は? と思うのよ」とぼやいたら「みんなそうさ」と励まされた。
そうか、この打てば響く共感の関係が、高齢者同士で暮らすメリットなのねえ、としみじみ悟った気分になったのだった。
(ノンフィクション作家 久田恵)