AIはこの先も宮崎駿になれない。AIの書く脚本が人のものを上回ることができない「原理的」な理由とは
改札を抜けると、所在ない表情の男が立っていた。手を振り、居酒屋に入る。
「あのあとどうした?」
男はレモンハイを傾けながら聞いてきた。
「一度寝て、変な夢をたくさん見ましたよ。それでまあ、ゴールデン街にも行けないじゃないですか」
男とその映画を見たのは丁度12時間前だ。公開初日。午前8時の回。
それはとても奇妙な体験だった。いつもと同じようでいて、全く違う。ジャンルも、設定も、キャラクターもわからないまま、全くの未知のまま「この物語はどうなってしまうんだ」「どこへ行くんだ」とハラハラしながら経緯を見守っていると、どんどん物語が展開し、気がつくと「パッ」と突き放されて、ストンと終わる。
映画を見たショックで、しばらく呆然としていた。半日は頭が働かず、残響のように様々な場面が頭に浮かんでは消える。とてつもない作品だった。
海を隔てたハリウッドでは、自分たちの仕事がAIに奪われるのではないかと本気で心配した脚本家たちがストライキを起こしている。これに俳優組合も加わり、せっかく「ミッションインポッシブル」の舞台挨拶に来るはずだったトム・クルーズも来日できなくなった。
能天気だな、と思う。
僕は3月頃に、AIを使って本を2冊書いた。一冊は今月、もう一冊は来月発売される。
僕はもともと文章を書くのが苦にならず早い方だが、それでも一冊分の原稿、12万字を書き上げた最短記録は20代の頃の20時間だった。本職の人はもっと早いだろう。「ドクターホワイト」や「神の雫」などで知られる作家の樹林伸さんのタイムラインを見ていると、一日に2冊書いている日もあるようだ。
AIを使って本を書いた場合、10時間で一冊仕上がってしまった。
本というのは、読むよりも書く方が長い時間を要する。
AIに12万字ほど生成させてから、「ここは違うな」とか「ここにこういうエピソードを追加した方がいいな」と考えながら、結局は全部リライトするのだが、それでもAIがなければこのスピードで本は書けなかっただろう。
ただし、今のところ、AIが生成する文章や物語は、びっくりするほどつまらない。
一冊めの本を書いたときには、編集者が困った顔で「清水さんが書いたところと、そうでないところの差が激しすぎる」と指摘してきた。結果的に全ての文に少しずつ手を入れたのだが、そうなってしまうと今度はもはや「どこまでがAIの生成で、どこに自分が手を加えたのか」自分でも全くわからなくなってしまう。
逆に言えば、これが「書く」という行為の新しい形なのではないか。