【古典俳諧への招待】鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半の門 ― 蕪村
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第26回の季題は「鮎」。
鮎(あゆ)くれてよらで過行(すぎゆく)夜半(よわ)の門(もん) 蕪村
(1768年作、『蕪村句集』所収)
「夏の夜中に、突然門をたたく音がする。こんな夜半(よふけ)に何だろうと出ていくと、鮎を釣ってきた友人だった。門口で数尾分けてくれて、そのまま家に寄らずに立ち去った」というような句意でしょうか。客は鮎を肴(さかな)に一緒に飲もうというのでもなく、主人も強く引き留めるというのでもない。あっさりとした主客の交流が、清流に棲(す)む鮎の清爽感とよく照応しています。これは魚は魚でも、鯉や鯛ではダメなのです。
実はこの句、中国の王子猷(おうしゆう、?~388年ころ)という人物の故事に基づいています。ある夜、月に照らされた雪景色が美しかったので、王子猷は友人の戴安道(たいあんどう)を訪ねることにします。小舟に乗り、夜明けに安道の家にたどり着きましたが、門まで来てそのまま帰ってしまいました。その理由を尋ねられ、「興が湧いたから行き、興が尽きたから引き返したまでのこと」と答えたという逸話です。
世間の常識を気にしない、こうした自由で淡々とした心の在り方は蕪村の憧れでした。蕪村の句は、王子猷の態度を描き直したものなのですが、雪見から鮎という食べ物に換えたことで、俳諧らしい具体性、現実感が生まれます。何もしないで帰ってしまった王子猷より、鮎をくれる友人は、ちょっとだけ気が利いてますね。
深沢 了子
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。