ヒルマ・アフ・クリントという画家を知っていますか?
王立美術院で学んだ彼女は当時まだ珍しかった女性の画家として肖像画や風景画を描き、商業的な成功を収めていた。ストックホルムの中心部にゆったりとしたアトリエを構え、忙しく働いていた。その一方で彼女は霊的世界や神智学にひかれるようになり、円や渦巻き、三角形や四角形、装飾的に変形された文字などをモチーフにした絵を描き始める。彼女は18歳のころ、妹を亡くしている。このことが”見えない世界”に目を向ける一つのきっかけになったようだ。
ヒルマは志を同じくする4人の女性画家とともに「De Fem(5人)」という名のアーティスト集団を結成する。また神智学を標榜したルドルフ・シュタイナーと知り合い、手紙のやりとりをしていた。〈ゲーテアヌム〉を建設していたシュタイナーにヒルマはコラボレーションを申し出たこともある。この案はシュタイナーが多忙だったためか、実現しなかった。
ヒルマの抽象画はシュタイナーが自らの思想を解説するために描いた絵にも少し似たところがある。天と地、人との関係性や自然の摂理を描いているのかもしれない、と感じる人もいるだろう。”抽象絵画のパイオニア”を自認するカンディンスキーの鮮やかで平面的な絵画とも共通するものがある。
カンディンスキーを始めとする同時代の芸術家や知識人には神智学などの神秘思想に傾倒する者も多かった。ヒルマが生まれるおよそ1世紀前には産業革命が始まり、ヒルマの幼少期にはイギリスでアーツ・アンド・クラフツ運動が起こっている。当時の文化人や芸術家の間には急激に進む物質化、工業化に対して精神世界を探究したいと考える動きがあり、ヒルマもその一人だった。