埼玉・久喜の「本多流洗心洞」、国の有形文化財登録へ
本多流洗心洞は現役の弓道場で、東大弓術部の師範を務め、清久村(現久喜市)の村長でもあった医師の高木棐(たすく)が、昭和8年に自宅敷地内に開設した。弓道場と的場が30メートル弱の「矢道」を挟んで建てられている。
弓道場は木造平屋切妻造で屋根は金属板葺。天井の高い板敷きの射場を中心として、西側に床の間の付いた畳敷きの上座、東側に弓置き場、北側に畳敷きの控え、北東側に切妻造の玄関を備える。
窓に矢羽根をモチーフにした桟をあしらい、床の間の天井の棹縁(さおぶち)は弓状に曲げている。
的場も木造平屋切妻造で屋根は金属板葺。弓道場側を開放し、残る三方を板壁としている。内部には的をかけるために土や砂を盛り固めた安土を設ける。
いずれも近代和風建築の弓道場の典型として、造形の規範となっていることが評価された。