『《埼玉・白岡15歳少年暴行死》「小さい魚をきょうだい皆でわけて食べている」 8人きょうだい“ヤングケアラー”だった少年の「凄惨な日常」と「思い出のピース写真」
【写真】小学校4年生の頃の颯太くん。当時はまだ学校に来ることもあったという
埼玉県白岡市で15歳の中学生・加藤颯太くん(15)が1月15日、自宅で意識不明の状態で見つかり、その後死亡した事件。
颯太くんは8人きょうだいの大家族で、母親とその内縁の夫であるA氏と同居していた。長男の颯太くんは弟、妹の面倒を見るため小学校5年生から不登校となり、同級生など地元の友達とは疎遠だったという。
母親は、15日の数日前に颯太くんが「ケガをして帰宅した」と説明。近隣でも先月、足を引きずって歩く颯太くんの姿も目撃されている。県警は事件との関連を慎重に捜査している。( #1 の続き)
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取材班に提供された1枚の集合写真。満面の笑顔でピースをするのは小学4年生の頃の颯太くんだ。
当時、一家は埼玉県の蓮田市内の借家に暮らしていた。
引っ越した後の白岡市の小学校では颯太くんは不登校で、卒業アルバムには名前しか残されていなかった。この写真は、数少ない颯太くんの小学校時代の思い出の写真だ。小学校4年生の頃から不登校に… 同級生の保護者が証言する。
「一番上のお姉ちゃん、颯太くんとその弟が小学校に通っていたのですが、颯太くんも小1~小3くらいまでは、学校にもちゃんときていました。礼儀正しくて活発な子で、近所のお友達ともよく遊んでいた。不登校になったのは4年生くらいから。『下の子どもの面倒をみないといけない』と言って、学校に来なくなりました。丁度、一家に6、7人目の子が生まれた頃だと思います」
必死に赤ん坊の世話をしていた颯太くんは姉とともに日中、ベビーカーを押す姿が近隣で頻繁に目撃されている。
当時、母親は看護師として近所の病院で働いていたが、生活は苦しかったという。
「低学年の頃、給食で魚がでたときに『うちでは小さい魚をきょうだい皆でわけて食べているんだ』『皆の家は違うの?』と颯太くんが言ったので、子どもがとてもショックを受けていました。写真の頃は既に不登校気味でね。昼夜逆転の生活も多かったようで、学校にもなかなか来られていなかった。
それでもお昼前、お姉ちゃんや2つ年下と弟と一緒に登校して、給食を食べにきていました。颯太くんは特にカレーが大好きで、給食の献立がカレーの日はよく来ていました。給食費は未納だったけど、先生も保護者も事情をわかっていたから何もいわなかった。『お腹いっぱい、給食を食べに学校おいで』と…」次ページは:母親は「学校には行かせなくてもいいと思っています」とキッパリ前へ12次へ1/2ページ