絶滅寸前「顕教踊り」伝えたい 有志が7年ぶり復活
姉川上流の標高約500メートルの甲津原には古来の風習がよく残り、盆踊りとして村人が伝えてきた甲津原の顕教踊りは昭和42年に県選択無形民俗文化財に指定された。しかし、過疎化や謡(うた)い手、踊り手の高齢化に伴い平成27年の盆踊りを最後に見られなくなっていた。
こうした中、伊吹山周辺で同じように絶滅寸前となっている顕教踊りを何とか後世に残そうと、甲津原の隣村の岐阜県揖斐川町春日美束で顕教踊りを伝える駒月作弘さん(90)や、同県大垣市の民謡協会の女性メンバーら10人が行徳寺に集まり、顕教踊りのゆったりした唄と鉦(かね)のリズムに合わせて踊りを披露した。
滋賀県長浜市の国友町歴史文化保存会の伝承踊部会長として顕教踊りの復活に取り組む國友武宏さん(77)も参加。「若者の担い手不足や新型コロナウイルスの影響もあって継承は難しいが、これを機会に国友でも顕教踊りを復活させたい」と思いを新たにしていた。
12日は、湖北の浄土真宗18カ寺が教如上人の絵像を1年ごとに回していく「回(まわ)り仏(ぼとけ)」講の法要が行徳寺で行われた。これに合わせ、顕教踊りの復活を企画した元産経新聞記者の出雲一郎さん(67)は「一つの地域だけで自分たちの伝統を残していくことが困難になっている。周辺地域が協力して顕教踊りを復活させたい」と意気込んでいた。
石山本願寺を明け渡した顕如、教如上人が信長の追及の手を逃れて行徳寺に身を隠したという甲津原の顕教踊り起源話の史実性を裏付ける具体的証拠はない。
ただ、昭和56年に甲津原顕教踊保存会が刊行した報告書によると、顕教踊りの基本部分である小歌踊りの始まりは顕如・教如の時代と一致し、「一向一揆が盛んな江北一帯で盆踊りとして歌われた小歌踊りに顕如・教如をテーマとした歌詞があみ出されていくのは自然の流れ」としている。
行徳寺の法雲俊邑(のりくもしゅんゆう)住職(74)は「浅井長政とともに信長と戦った教如に、湖北の村人が協力したのは確か。顕教踊りには村人の特別の感慨が込められており、このまま消えてしまうのはあまりに惜しい」と話している。(川西健士郎)