蘇我氏滅亡後に甘樫丘を造成か 奈良、7世紀後半の建物跡や石列
建物跡は南北5.4m、東西4.2m以上。7世紀後半の総柱建物で、西にさらに続くとみられ、一帯は倉庫群だった可能性がある。柱を据える穴からは柱を固定するための大型の石も多く見つかった。
建物跡の北側と南側では石列も見つかった。遺構はいずれも蘇我氏滅亡後の時期らしい。
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