あえて演芸写真家を名乗る橘蓮二がいま注目する噺家は誰?
橘蓮二は以前から、ジャンルとして存在しない “演芸写真家” とみずから称している。
技術もセンスもはるか上をゆく写真家が数多(あまた)いることを百も承知のうえで、なぜわざわざ演芸に特化した写真家とあえて名乗るのか。
それは28年前、写真の世界から消えていなくなるはずであった未熟な写真家が演芸に出会い救われたことを忘れないためと、生涯を終えるその日まで芸人さんの魅力を、写真を通じてひとりでも多くのお客さまに伝えることが演芸写真家の存在理由であると思うからだ。
初めて鈴本演芸場の楽屋に入った日、動くこともままならぬほど緊張した中で、視線の向こうにあった重鎮だけが座ることを許されている座卓の前で静かに根多帳(ねたちょう)を捲っていた五代目柳家小さん師匠の姿が今でも鮮烈に印象に残っている。
あの日以来数えきれないほど多くの芸人さんをカメラに収めてきたが、撮影を重ねるたびに頭を過(よぎ)るのは、永遠に理解することはかなわないプレーヤー感覚をいかに形にするかということであった。もちろん演者さんの気持ちをたやすく捉えられると錯覚するほど傲慢ではないが、たとえ明瞭でなくとも輪郭を描く唯一の手立ては、ワンショットに愛情と尊敬を込めながらシャッターを押しつづけることなのだと思っている。
この本は2018年に出版した前作『本日の高座─演芸写真家が見つめる現在と未来』の続編にあたる。
その後の5年間は、演芸界もその大半を世界中が翻弄された新型コロナウイルスの波に呑み込まれ、公演中止が相次ぐ苦しみの日々が続いた。さらに柳家小三治 師匠、川柳川柳師匠、三遊亭圓丈師匠、三遊亭円楽師匠といった、一時代を築き、多くの落語ファンを魅了し愛された師匠方が次々とこの世を去り、寂しさはいっそう募っていった。
未経験のウイルスによる厄災は言いようのない残酷さをともなっていた。本来、心を寄せる者同士なら少しでも近くにいたいと願うのが当然だが、行動制限下においては相手のことを想えばより遠ざかるほかに術(すべ)はなかった。
ひるがえって現在、まだまだ十全とは言えないが昨年あたりから少しずつ以前の賑わい を取り戻しつつあるように感じている。演芸は過去、どんな過酷な状況にあっても創意工夫と行動力でけっして沈むことなく時代の荒波を乗りきってきた。
また大好きな芸人さんに会える、そして同じ空間で笑い合うことができる。
今日も明日も演芸場で会いましょう。