山口藩庁の土塁跡に「政庁機能だけでなく軍事施設の堅固さ」…大砲の使用を想定か
県によると、藩庁は幕末の1864年に建てられた山口城(山口御屋形)が前身で、明治維新後の70年に藩庁と改称した。廃藩置県が行われた71年に県庁となり、大正期の1916年に旧県庁舎の完成に伴って解体された。
発掘現場は現在の県庁の北東側にある遊歩道脇の一角36平方メートル。7月からの調査で、深さ2メートルの地中から土塁の一部が見つかった。全体の規模は長さ110メートル、高さ3メートルと推定される。砂質と粘土質の土を交互に重ねた多層構造で、強度を高める目的で混入された屋根瓦の破片も出土していることから、大砲の使用を想定した近現代的な軍事施設とみられる。
土のうに入る程度の土を綿密な計算に基づいて積み上げた形跡もうかがえ、「耐久性と作業効率の両立を図った建築工法」(県文化振興課)という。
説明会は予約不要。調査を担当した県の伊藤創・文化財専門員は「土塁は山を背に、藩庁を取り囲むように築かれていた。藩主が萩から山口に移ってきた建設当時の時代背景とともに想像を巡らせてほしい」と呼びかけている。