伝説の仏絵師・明兆の巨大仏画《白衣観音図》も。東博の特別展「東福寺」は展示替えにも注目
東京・上野の東京国立博物館では、この東福寺の寺宝をまとめて紹介する特別展「東福寺」が5月7日まで開催されている。4月11日からは展示替えによって新たな注目作品が会場に加わった。会場の様子を後期展示の目玉作品を中心にレポートしたい。
東福寺の始まりは13世紀の鎌倉時代前期。朝廷の最高実力者だった九条道家の発願により、中国で禅を学んだ円爾(1202~1280、えんに、諡号[しごう]は聖一国師)を開山に迎えて創建された。本展の第1章は「東福寺の創建と円爾」として、東福寺を開いた円爾の功績を紹介する。
第1章の後期展示品のなかでも注目したいのが、無準師範筆の重要文化財《円爾宛認可状》(1237)だ。1235年に宋に渡り、6年間を諸山の高僧に歴参した円爾は、怪山の高僧・無準(1177~1249)の門に入り、修行を経て卒業証書にあたるこの《円爾宛認可状》を授かった。本作には「道は場所を問わず普遍であり、道を体得したものはどこにあってもその道を受用することができる」といった旨が描かれており、無準の法を継ぐものとして円爾が認められたことがわかる。
現存している貴重な13世紀の認可状であるうえに、書に秀でており後世に名高い墨跡の銘品を残した無準の筆跡は一見に値する。無準は画にも秀ででおり、弟子に日本の絵画に多大な影響を与えた山水画で名高い牧谿(13世紀~?)がいる。また、無準のもとでは円爾のほかにも日本から多くの僧が修行に訪れるなど、日本の仏教や美術の歴史を深く知るうえでも重要な人物のひとりだ。この機会にその足跡や弟子たちに興味を持ってみるのもいいだろう。
東福寺を拠点に活動した絵仏師・吉山明兆(1352~1431)は、江戸時代までは雪舟(1420~1506)と並び称されるほどの高名な画人だった。この明兆の代表作を展示する第3章「伝説の絵仏師・明兆」では、重要文化財である巨大仏画の《白衣観音図》(15世紀)が後期展示より登場した。
数多くの大作や連作で知られた明兆だが、とくにこの《白衣観音図》は縦約3.3メートル、横約2.8メートルという圧倒的な大きさを誇る。東福寺法堂の仏後壁に貼られていた可能性が高いとされ、荒々しい水墨描写から明兆の最晩年の作品とみられている。岩窟や荒波をダイナミックで豪胆な筆致で描きながらも、白衣観音、善財童子、岩べりによる三角形の構図などは精緻かつ安定した趣があり、それらが絶妙なバランスをもって構築されている。
本展のハイライトともいえる《五百羅漢図》でも展示替えが行われた。《五百羅漢図》は50幅で構成されるが、本展では明兆筆47幅、狩野孝信筆2幅、復元模写1幅を、会期中に入れ替えながらひとつの展示室で紹介している。
釈迦の入滅後、弟子である羅漢500人が天台山の石橋に住まうようになったという信仰を素材とした本作は、1幅に10人、50幅で計500人の羅漢を描いている。現在、京都・大徳寺などには5人の羅漢を100幅に描いた南宋時代の《五百羅漢図》が保管されているが、明兆による本図はこれを1幅10人にアレンジしたものだ。羅漢たちが様々な神通力を使いながら生き物たちと交遊したり、僧院で集団生活を送る様子が生き生きと表現されている。
明兆の《五百羅漢図》は1996年度より26年を費やして2022年度に一応の完了をみたものとなる。鮮やかに甦った明兆の色彩をじっくりと堪能したい。
現在、知名度が高いとは言えない明兆だが、本展を担当した東京国立博物館研究員の高橋真作は次のように語る。「明兆は狩野派や雪舟にも影響を与えており、日本美術において非常に重要な存在。中国の仏教美術を深く学びながらも、水墨の技術や鮮やかな色彩を独自の領域に高めていったその作風は、現代の人々も惹きつけられるのでは」。
ほかにも第4章「禅宗文化と海外交流」の貴重な漢籍や、第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」で仏像とともに展示される牌字や絵図にも展示替えが行われている。禅宗が育んだ文化を知るとともに、後の日本美術に強い影響を及ぼした仏教美術を知ることができる、希少な機会となっている。