アート業界のジェンダーバランスを問うNMWA主宰の国際展。藪前知子キュレーションのもと日本が初参加へ
アメリカの首都、ワシントンDCにある「National Museum of Women in the
Arts(国立女性美術館、以下「NMWA」)は、女性作家による作品だけを収蔵・展示する世界初の⺠間非営利の美術館だ。同館は、美術コレクターであったウィルヘルミナとウォレス・ホラデイ夫妻が、主に⻄洋白人男性が綴ってきた美術史に女性作家についての記述がほとんどない事実に気付き、女性作家の作品のコレクションを始めて1981年に設立。以来40年間、ホラデイ夫妻は、従来の美術史を見直すためのポジティブな修正主義的アプローチを取り入れるコレクターとして、美術業界のジェンダー平等に寄与してきた。
「#女性作家の名前を5人挙げられますか?」。NMWAは、国際女性デー(3月8日)の定番となったこの問いかけでも注目を集めている。2021年にはNMWA日本委員会が発足し、現在は2~3年に一度DCのNMWAで行われる世界各地の28もの委員会が参加するグループ展「Women
to Watch」に、日本から初めて出展しようと活動中だ。
「Women to Watch」の次回開催は2024年。コンサルティング・キュレーターに東京都美術館学芸員の藪前知子を招き、「A New
World─コロナ後の世界」というテーマのもと開催される。藪前の推薦作家は、青柳菜摘、藤倉麻子、長谷川愛、石原海、渡辺志桜里の5人。2023年3月には、展示会場や他作品とのバランスを鑑みて、NMWAのキュレーターによって5名のなかから日本の参加アーティストひとりが決められる。公平性を保つために、館長や副館長、パトロンたちは、選考のプロセスには一切関わらない。
藪前は「A New World─コロナ後の世界」というテーマに対してどのように考えを深め、5人を選んだのか。話を聞いた。
いま・ここのリアリティを重視する昨今の現代美術。「そのフレーム自体にジェンダー不平等が生じている」(藪前)
「この20年ほど、現代美術はアクチュアリティ(現在性)に偏っています。いまこの瞬間に起きていることのリアリティが重視される傾向があり、その盛り上がりは数々のアートプロジェクトや芸術祭に反映されてきました。いま・ここに自分という存在を現前させるような戦略は、個人的には女性よりも男性アーティストのほうが有利だと感じるため、昨今の現代美術のフレーム自体にジェンダーアンバランスがあると言えます」。
「『A New
World─コロナ後の世界』もまさにいまの時代を反映したテーマではありますが、同展では、確固たる未来のビジョンを描く作家ではなく、日々の営みも含めて、迷いながらも未来に向かってちょっとずつ進んでいくように制作している作家を推薦しました。人間が支配できない領域であったり、あるいはAIに支配されてしまうような非人間的な領域だったり、作家の興味はそれぞれに違いますが、しかし一貫して、そうした私たちを取り囲む状況に対して、私たちの自由はどのように確保されるのか、状況にいかに主体的に介入することができるのか、という問いは共通していると思います」。
監視社会、貧困、ジェンダー、カタストロフ……とらえづらい現代の課題と心の機微
5人の作家性について、藪前は次のようにコメントする。
青柳菜摘(あおやぎ・なつみ)
「青柳菜摘さんは、日々の小さな変化をとらえるきわめて個別的な感覚をどのように残すことができるかを主題としています。つねに様々なメディアによって記録され、ログが残される世界において、そういった非人間的な視点の存在を意識しながら、個人的な感覚を十分に残すことは難しい。蝶の孵化のような小さな変化をどのようにとらえ、自分のものにできるのか、あるいはそれは不可能なのか。青柳さんの作品は、現在の世界状況に敏感に反応しつつ、人間らしい血の通った日々の営みをどう刻印していくかという試みの連続です。今回は、クラウドを通じて、生身の人間にPCでは処理できない仕事をアウトソーシングできるサービスがあるのですが、彼女はそこに日々の物語を提供してもらうように依頼し、ネットの向こう側にいる他者たちの紡ぐ暦を通して、コロナ禍におけるとらえがたい1年間をあらわしています」。
渡辺志桜里(わたなべ・しおり)
「日々の営みという点でいうと、渡辺志桜里さんも、アトリエにある動植物の世話をすること自体を制作行為としています。渡辺さんは外来種や純血種、絶滅種など、生物環境と人間社会との摩擦を暗示するモチーフを作品の主題としてきました。駆除対象になっている外来種も含む生態系を再現、維持し、循環させて部分的に切り取りながら株分けしていく代表作《Sans
room》をはじめ、人種問題や天皇制などにも触れつつ、人間がつくった枠組みから自律する環境、人間中心主義から脱するような多層的なメタファーを鑑賞者に喚起させるような作品づくりを行うアーティストです」。
石原海(いしはら・うみ)
「石原海さんは、貧困に陥った人たちを救済する北九州の教会で、支援を受けている人たちと共同生活しながら作品をつくっています。社会に疎外された人々が、自分の身体の自由をいかに取り戻すか。いまの20~30代の作家は年々経済状況が悪くなっていくなかで生まれ、作家活動も継続してきた人たちなので、高度経済成長期のような未来のビジョンに対して、なんの批評もなしにポジティブに受け入れられるはずがありません。社会のビジョンに対してどのように作品を相対化して見せ、かつ未来に向かって作品の意味を投げかけられるのか。痛みも伴った未来のヴィジョンというのが、今回の作家さんたちに共通しているのではないかと思います。石原海さんの作品は、オリンピックも含めた大きな社会の動きや、日々のストレスのなかで、人間の身体が否応なく変化していってしまう可能性と、それにいかに抵抗し、個人の自由を確保するかという問題を扱っています」。
藤倉麻子(ふじくら・あさこ)
「高度経済成長期や都市化という観点でいうと、藤倉麻子さんは首都圏近郊の工業地帯に生まれ、開発途上にあるインフラの構造物が林立する風景のなかで育ったアーティストです。都市化というテーマに対して原風景を持つ彼女は、その原風景をもとに、3DCGアニメーションなどの新しいテクノロジーを用いて極彩色の空間のイメージを制作しています。無人の空間に、独自の動きを持つ高速道路や下水道などの都市のインフラの断片が配された風景は、藤倉さんにとっては自然と人工物、人間と非人間を超えた原初的な風景イメージですが、それは人間の限定された生から私たちを解放してくれるビジョンでもあるでしょう。今回はこれに加えて、彼女が現在つくっている自分の家の庭という限定的な空間が、無限大に見えるデジタル空間の中の端っこというイメージに接続され、リアルとバーチャルとが往還するヴィジョンも提示されます」。
長谷川愛(はせがわ・あい)
「長谷川愛さんは、バイオアートやスペキュラティヴ・
デザインといった手法をもとに、生物学的な課題や科学技術の進歩をモチーフとして、よりよい未来へ向けた提言のかたちをとる作品を発表してきました。愛や生殖など他者との関係の諸条件についてユーモラスに言及しつつ、
ジェンダーやカタストロフなど、現代社会が抱える諸問題への鋭い批評となっています。今回は、彼女の代表作である、サメと人間の恋愛の可能性を探った作品を紹介します。さまざまな生殖の形態、つまり人間にとっては未来のテクノロジーを使いこなす野生的なサメのメスに憧れ、そこに近づくために、サメのオスを魅惑する香水を企業と共同で探求。人間の女性がもっと強く生きやすくなるようにという願いを込めたプロジェクトです」。
日本初参加を記念して5人の表現を一挙紹介。有楽町の2会場でグループ展を開催中
現在、有楽町ビル・新有楽町ビルの2会場では、「Women to Watch
2024」への日本の初参加を記念して、この5人の表現を通覧できる展覧会が開催されている(~10月29日)。
「Women to
Watch」のプロセスは、各委員会に選出されたキュレーターが3~5人の女性の新進作家、あるいは世界的にはまだ知られていない中堅の女性作家をDCのNMWAに推薦し、その後展示会場や他作品とのバランスを鑑みて、最終的に一人の作家を選出するという流れ。公平性を考慮して、館長や副館長、パトロンたちは、選考のプロセスには一切関わらない。
これまで「Women to Watch」展で脚光を浴びた女性作家は多く、そのひとりであるイギリスのローズ・ワイリーは、彼女が70代のときに「Women
to
Watch」で注目を集め、80代でデイヴィッド・ツヴィルナーの所属作家となった。世界経済フォーラム「ジェンダー・ギャップ指数2022」は世界146ヶ国中116位と先進国の中で最低水準の日本だが、NMWAの活動を通じて、歴史に埋もれてしまった過去の偉大な女性作家や、現在制作を続けている女性作家に光を当て、より公平なリーダーシップ、コミュニティへの関与など、社会が前進することが目指される。