坂本龍一、本の可能性を語る「本はパフォーマンスかもしれない」
本はかつて本だった。本といえば、それは紙の束を片側でバインドした、そのハードウェアの形式であり、同時にその形式のなかに格納された情報体を指していた。中身とそれを格納する器は不可分のものだった。ところが、デジタルデバイスの登場によって、不可分だったはずのものを分離することが可能となった。中身は「コンテンツ」という名のものに置き替わり、紙の束は「フィジカルの本」と呼ばれる、選択可能な「オプション」となった。今「本」と言ったとき、それがいったい何を指しているのかは、実に曖昧だ。コンテンツとしての本の話なのか、ハードウェアとしての本の話なのか。そもそも「本」とはいったい何を指していたのか。そうした混乱のなか、いまだに延々と繰り返されてきたのが「紙の本のよさ」をどう擁護しうるのか、という議論だ。
「手ざわりが大事」「デザイン性が大事」「デバイスに依存しないので保存性がより高い」「透過光より反射光で読んだほうが頭に入る」など、「本のよさ」についての論拠は、さまざまな方面、角度から提出されてきた。どれもそのとおりだなとは思いつつ、いくらそうやって「紙のよさ」を説いたところで、少なくとも新聞や雑誌はデジタル空間に飲み込まれていくのは確実な趨勢(すうせい)なようで、それに歯止めをかけるには、悲しいかな無力にも見える。とはいえ、その一方でフィジカルのプロダクトには、それ自体が放つインパクトがあるのはたしかだ。フィジカル空間の中に投げ出された情報は、デジタル空間の中に投げ出された情報とはまったく異なる伝播性がある。
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坂本龍一さんの本をめぐるプロジェクトのひとつ「坂本図書」には、坂本さんの蔵書のほか「坂本図書」からお声がけした人たちの蔵書も並ぶ。寄贈者の名前ごとに本棚がつくられている。ここの本にはすべて貸出票がはさんである。「貸本屋をやりたい」という構想から始まったプロジェクトだが、 現在は準備中の段階で一般公開は予定していない