福田和也先生が最も太っていて、私が最もすれっからしだった頃《福田和也『保守とは横町の蕎麦屋を守ることである』に寄せて》
文芸評論家・福田和也氏の久々の新刊『保守とは横町の蕎麦屋を守ることである』(河出書房新社)が話題を集めている。かつての恰幅の良さとは別人のような福田氏の姿がカバーに写っていること、コロナ禍に苦しむ飲食店へのエールとして書かれていること、そして帯にある「時代へのラスト・メッセージ」という文言などからだろう。
七月の第二週であったと思うが梅雨が明けて間もないその日は晴天で日差しが強い割に朝から酷い湿気で、私は胸元を金属で留める伸縮素材のミニ・ワンピースを着て、足元は分厚いウエッジソールのストラップが細いサンダルを履いていた。
服装まで細かく覚えているのは、店の前で撮った集合写真を長いこと持っていたからで、映っている生徒の半分以上の名前がわからないので、それが現代文芸の授業の最終日だったのは確かだ。ゼミの集まりだったらもっとよく知る顔が並んでいる。
学期中に800字程度のコラムを一本でも書けば単位が貰えるという恐ろしく緩いゼミは、そんなだから履修者はものすごく多かったのだが、集まりや飲み会に出てくる顔ぶれは決まっていた。そのうち何人かは今でもこの業界で付き合いがある。
現代文芸は慶應SFCで福田先生が担当されていた授業の一つで、毎年扱うジャンルや文献はその年の先生の気分で決まるので、何年に履修したかによって授業の内容はまるっきり異なる。
私が履修したのはおそらく三年生の時で、その年は毎週一冊ずつ課題の句集を読み、好きな句を五句選んできて授業中に発表するというスタイルだった。最初が正岡子規で、高浜虚子、種田山頭火、と順々に時代が新しくなっていく。
期末試験やレポート提出はない代わりに先生は、都内の蕎麦屋で土曜日の昼間、句会を開いた。生徒がそれぞれ五句詠んできて、合評する。私が詠んだ俳句のうち、先生がコメントをくれたのは「そら豆や爪を磨いた男あり」というものだった。