戦後洋画界代表した野見山暁治さん、100歳超えても創作続け…戦没画学生の遺作収集も
毎年夏になると、自宅のある東京を離れ、郷里の福岡県で数か月を過ごした。海に面した糸島市のアトリエで、数々の作品を描いた。自在な筆遣いと同じく、ひょうひょうとした人柄で親しまれ、福岡では毎年のように個展が開かれた。
ふるさとの筑豊地方の炭鉱風景をかけがえのないものとして、初期の代表作「廃坑」シリーズなどで残したほか、同県飯塚市役所には炭鉱をモチーフにしたステンドグラスも飾られている。昨年8月には、同市内に常設ギャラリーも画廊によって開設された。
子どもとのふれあいも大事にした。同市総合体育館の開館に合わせ、市内の小学生の絵を基に表現した陶板レリーフ「明日の空」を制作し、今年4月の落成式には元気な姿を見せていた。
昨年12月から今年2月にかけて福岡市の福岡県立美術館で開かれた寄贈記念展を担当した、同館学芸員の岡部るいさん(39)は「初期から最新作までが並ぶ展示室を歩きながら、『自分のアルバムを見ているようだ』と口にされたのが印象的だった。人間中心の社会に批判的な目を向け、自然と人間のあり方を描き続けた偉大な画家でした」と惜しんだ。
一方、陸軍歩兵として満州(現中国東北部)に渡り、多くの同級生らを亡くした経験から、戦没画学生の遺作を収集、展示する美術館「無言館」(長野県上田市)の設立にも尽力した。同館館主の窪島誠一郎さん(81)は「先生の肩には、戦争に散った仲間の画学生たちが描きかけた絵や作りかけの彫刻、果たせなかった夢が懸かっていたと思う。絵筆を離すことなく、仲間の命の分まで長い人生を全うされたこと、大変尊敬しております」と悼んだ。