家康は「忍耐の人」だったのか 家臣ら16人の武将の実像に迫る
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし…」。家康の遺訓と伝えられるこの文言はよく知られており、筆者も子供の頃、実家の壁に掲げられたカレンダーか何かで見た覚えがある。「家康=忍耐の人」。今でもそんなイメージでとらえてしまう。
こうした家康像に見直しを迫ろうとするのが大河ドラマで時代考証を担当する柴裕之氏の「青年家康 松平元康の実像」(角川選書、1870円)だ。
織田氏や今川氏の人質となり、青年期まで家臣とともに苦労の日々を送った家康は、忍耐と家臣との結束でその後戦国大名、天下人に出世する-。こうしたストーリーは、家康が天下人となるのを必然とみなす予定調和な「松平・徳川中心史観」の産物だとか。本書では、今川氏のもとでの人質時代について、「忍耐を求められた惨めな立場」ではない、と指摘する。詳しくは本書を紐解いていただきたいが、蓄積のある家康研究を俯瞰できるのも有益だ。
家康といえば、多くの優秀な武将をそろえた家臣団も有名だ。菊地浩之著「徳川十六将 伝説と実態」(角川新書、1034円)は、江戸時代に描かれたとみられる「徳川十六将図」をもとに家臣団の実態に迫る。
この図には、「徳川四天王」(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)のほか、戦功があった12人の武将が名を連ねる。天下泰平の世に、家康と武将たちの戦場での苦労などを伝える意図があるとみられるが、選考基準は不明だ。
本書は、「徳川十六将図」をめぐるこれまでの議論や研究を総括した上で、武将16人が選ばれた背景に迫っていく。キーマンとして着目するのが、「槍の半蔵」と呼ばれた槍の名手、渡辺守綱。「一般的な人選では元帥や大将などの名鑑」になりがちだが、「守綱の目線で選ばれた『徳川十六将』は、弓や槍の達人、あるいは自分とともに戦った戦友といった人選になっている」と分析する。
16人の「実力」評価は是々非々だ。愛知県岡崎市公式観光サイトにある徳川十六将の説明と読み比べるのも一興だろう。
天下人になった後の家康には名だたる側近が少なくない。その一人として外せないのが、若くして京都南禅寺住職に出世し、家康の政治・外交顧問となった異能の人、崇伝だ。平成27年に亡くなった作家・火坂雅志氏の長編小説「黒衣の宰相-徳川家康の懐刀・金地院崇伝」(朝日文庫、上下巻とも990円)は、ともすれば冷酷な策略家や悪党のイメージが強い崇伝の人物像に修正を迫る作品だ。
「国家安康」「君臣豊楽」-。豊臣秀頼が再建した京都方広寺の鐘銘に難癖を付け、大坂の役の原因となったこの問題の仕掛け人として有名な崇伝。作品の中では、側近グループ内での主導権争いが影を落し、必ずしも手柄の独り占めには至らなかった-という筋立てを盛り込む。同じく家康の側近として宗教政策に関与した天台宗の僧、南光坊天海との熾烈な権力闘争の描写は迫力がある。
一方、武家諸法度などの重要法典の起草といった幕府草創期の基礎固めに寄与した側面にも目配りし、一定の分量を割く。小説仕立てだが、世界史の影響を強く受け始める日本近世史の理解が進む。