千葉代表する海城「金谷城」の頂上部分を初公開
戦国時代には、房総半島の里見氏、三浦半島の北条氏の両水軍が東京湾を挟んで対峙(たいじ)。鋸山から海側に広がる丘陵に築かれた金谷城は、里見氏の代表的な海城で、湾内の監視や防御の拠点だったとみられる。
金谷城の遺構は、東京都情報サービス産業健康保険組合のリゾート施設内にあり、通常は非公開。令和3年に活用会の企画で金谷城の御城印(ポストカードの一種)が発行されたことが縁となり、「二の郭」部分で月1回程度の限定公開が行われてきた。
その後、戦時中の砲台建設で破壊されたと言われていた主郭部分について同組合から依頼を受けた活用会が調査したところ、戦国期の遺構が残っていることが判明した経緯がある。
説明を担当した活用会の小室裕一代表は、「金谷城は戦国時代に、房総の海城の要(かなめ)として機能した。一番大事な主郭部分について、遺構が良好な形で残っている」と強調。12日の見学会に参加した約40人の城郭ファンは、当時の海城の姿を思い描くなどして楽しんでいた。船橋市から参加した男性(64)は、「今残っている遺構を後世に伝えていってほしい」と話した。
「海城サミット」は、海城の魅力の再発見をコンセプトに行われた一連の取り組みで、12日には富津市内で、「海と城と暦のコンサート」が行われた。小室代表の歴史トークと、シンガー・ソングライターのcoyomi(こよみ)さんによる弾き語りが100人超の聴衆の前で披露された。
19日には同市内で海城に詳しい千葉経済大非常勤講師、滝川恒昭氏が「江戸湾の海城と戦国・里見水軍」と題して講演。続いて、活用会副代表で歴史講座などの活動を展開する山城ガールむつみ(本名・宇野睦)さんと、袖ケ浦市郷土博物館顧問、井口崇氏のトークショーが行われ、三浦半島と房総半島との関係性などが語られた。約120人の聴衆が集まった。