東京都美術館で「マティス展」が開幕。回顧展で見るべき画家アンリ・マティスの探求と運命
。東京都美術館で開幕した本展は、2004年の国立西洋美術館以来、約20年ぶりに日本で開催されるマティスの大規模回顧展となる。会期は8月20日まで。
会場では、世界有数のマティスコレクションを誇るポンピドゥー・センター/国立近代美術館の協力を受けて、日本初公開作品を含む約150点を8章に分けて展示。
本展に際してポンピドゥー・センター/国立近代美術館
近代コレクションのチーフキュレーターであるオレリー・ヴェルディエは、「鑑賞する方に、マティスの持つ色彩のエネルギーを感じてほしい」と語り、東京都美術館学芸員の藪前知子は「マティスの転換期となる重要な作品を含む、特徴的なコレクションが揃っている」と自信をのぞかせた。
フォービスム以前の作品が並ぶ第1章「フォーヴィスムに向かって 1895-1909」は、《自画像》から始まる。南仏の色彩と光を取り入れた《ホットチョコレートポッドのある静物》は、早くから色にこだわっていたマティスの姿を想起させるだろう。
本展で注目すべきは、日本初公開となる実験的な初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》
。新印象派の規則を取り入れた点描と色彩の衝突が展開される画面からは、目新しさとともに馴染み深いマティスらしさを感じられる。
第2章「ラディカルな探求の時代 1914-1918」に並ぶ作品の制作時期は、ちょうど第一次世界大戦に重なる。静かな青が美しい《金魚鉢のある室内》は、生涯アトリエという室内で「実験」を繰り返したマティスにとって重要なモチーフ「窓」が用いられた作品だ。
第一次世界対戦勃発直後に描かれた「未完」の作品《コリウールのフランス窓》も、同じく窓を扱っている。開いているか閉じているかわからない抽象的な平面は、西欧に関する象徴的な意味を纏い、マティスにとって転換期の一作となった。
このほかにも、憂いを帯びた《窓辺のヴァイオリン奏者》やキュビズム的な独自性が見られる《白とバラ色の頭部》など、目を引く作品が多数。戦争の最中で模索された作品群からは、黒色の多用や太い直線など、他の時代にはない特徴も見てとれるだろう。
第3章「並行する探究─
彫刻と絵画 1913-1930」では、金属の輝きを感じさせる薄暗い展示室に、断続的に制作された「背中」シリーズ4作品などの彫刻作品が悠々と並ぶ。
マティスは彫刻を手がける理由について、絵画制作における「補足の秀作として、自分の考えを整理するため」と述べている。鑑賞の際はぜひ、絵画と色彩を持たない彫刻のつながりを感じていただきたい。
第一次大戦後に南仏のニースに移住していた時期の作品群で構成される第4章「人物画と室内画 1918-1929」には、たっぷり時間を割きたい。木炭やグラファイトで描かれたモノクロームの作品群や、伝統的な要素の強い展示作品からは、基礎や初心に立ち返ろうとする姿勢も見られる。
とはいえ、マティスは同じことを繰り返す修行のような日々を送っていたのではない。装飾的なパターンを取り入れた《赤いキュロットのオダリスク》は、「背景にどう人物を配するか」という探求を重ねた作品。横たわる裸婦という伝統的な構図だからこそ、マティスの葛藤とこだわりを見出すことができるだろう。
マティスが好んで用いたオレンジが登場する《緑色の食器棚と静物》は、画面を構成する要素が互いに切り離されることなく均衡を保って収まっており、構図への挑戦を看取しやすい一枚だ。
第5章「広がりと実験 1930-1937」では、開放的な絵画作品の《夢》以降、最晩年までマティスにとって特別なモデルだったリディア・デレクトルスカヤを描いた作品を中心に構成。
幾何学的な表面を特徴とする《座るバラ色の裸婦》は、少なくとも13の段階を経て幾度となく修正と再構成を講じたのちに完成に至っており、強い探究心と粘い強さを持つマティスの人間性をも感じられる作品と言える。
第二次大戦を機に移住した先で生まれた作品が集まるのが、第6章「ニースからヴァンスへ 1938-1948」。体調が悪化するなかでも、絵画制作に加えて、ドローイング集『主題と変奏』や美術文芸誌『ヴェルヴ』の装丁など幅広く手がけていた。
マティスらしい赤が画面を占める《マグノリアのある静物》は、「実験のタブロー」のうちの一枚。晩年であっても実験を欠かさない点に、マティスの巨匠たる所以を感じてしまう。
「ヴァンスの室内画」シリーズ第1作の《黄色と青の室内》では、画面の構成要素が互いにつながっている構図を再確認できる。本展のビジュアルにも採用されている《赤の大きな室内》は、「ヴァンスの室内画」シリーズ最後の作品に当たる。異なる色々な世界が調和を持って一枚の絵画になっており、光、色彩、装飾性、構図のどれをとっても素晴らしい、これまでマティスが重ねてきた実験の到達点と言える作品だ。
第7章「切り紙絵と最晩年の作品 1931-1954」では、「ハサミで描く」切り紙絵の作品を展示。小さく繊細な作品が想像されるが、《オセアニア、空》や墨を併用した《オレンジのあるヌード》など、ダイナミックで大型の作品も少なくない。
切り絵紙の作品もまた、絵画作品と連続した表現であり、切り絵が持つ平面性は筆の運びにも感じられる。さらに、1930年代以降には習作の手段として、40年代には「色彩とドローイングの対立」を解消する手段としても機能しており、マティスを語るうえで見逃せない作品群となっている。
第8章「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948-1951」では、最晩年に手がけ、マティス本人が「運命」とも語っているヴァンス・ロザリオ礼拝堂における仕事を紹介。装飾画はもちろん、壁画、告解室の扉のデザイン、典礼用の衣装のマケットまで手がけたというから、晩年におけるエネルギーに驚かされる。
本展では、「総合芸術」の実践となったヴァンス・ロザリオ礼拝堂の様子を、写真や下絵などの資料に加えて、撮り下ろしの美麗な映像を通しても知ることができる。
本展でマティスが生涯に手がけた絵画を通覧すれば、指で撫でたような温かみと柔らかさ持つ筆致が、とき鋭いような色彩と調和して、ずっと眺めていられる画面を保っていることに気づくだろう。
その土台の上で、マティスは絶えず試行錯誤を重ねてきた。それは一枚のなかで起こって場合もあれば、複数枚に渡る場合も、何年も隔てることもあった。好奇心と徹底して妥協しない制作の姿勢は、画家であることを諦めなかった生涯と重なり、表現そのものがマティスの人生だったとさえ思わせる。だからこそ、マティスは回顧展で見るべき画家と言えるのだ。