6月11日はカメハメハ・デー 神話とつながるハワイの伝統「フラ」、抑圧と誤解の歴史
1778年に西洋文化と接触する以前、フラは数百年間にわたりハワイの生活の一部となっていた。踊り手たちは、神や族長をまつる儀式で詠唱に合わせて踊り、また天候のパターン、星々、地球と溶岩の動きなどを説明する物語を語っていた。
ハワイの神話には、フラの起源についていくつもの物語があり、その多くに火山と火の女神であるペレが登場する。伝説やそれに伴う体の動きは、地域によって異なる。「ハワイ島プナ地方では、激しい詠唱に合わせて踊ります。まるで溶岩が割れる音や、火山から聞こえる轟音のような詠唱です」と、カモホアリイ氏は言う。「きれいな浜辺のあるカウアイ島では、海を彷彿させるメロディアスで流れるようなスタイルになります」
1820年以前、文字が存在しなかったハワイにおいて、フラは世代から世代へと知識を受け継いでいくための手段のひとつだった。しかし19世紀、キリスト教宣教師による影響が島々に広がるにつれ、聖なる舞踊フラは人々から敬遠されるようになっていった。フラは下品な異教徒の儀式とみなされ、公の場で踊ることを禁じられた。それでも、地方の村々では引き続き「ハラウ・フラ(フラの学校)」が開かれていた。
「わたしの先祖は、洞窟やサトウキビ畑で踊っていました。まわりにだれもいない深夜に練習をしていたのです」と、カモホアリイ氏は言う。「そうした古い舞踊を教え続けていくのは重要なことでした」
フラの復活が始まったのは1833年、デビッド・カラカウア王の時代だった。この王は自身の華やかな戴冠式を、当時新築したばかりで、現在はホノルル市内の博物館になっているイオラニ宮殿で行った。伝統文化を庇護したことから「メリー・モナーク(陽気な君主)」と呼ばれたカラカウア王は、2週間続く戴冠の祝祭に、かつては禁じられていたフラのダンスや音楽、宴(ルアウ)などのハワイの伝統を大いに採り入れた。
キリスト教は、フラに変化をもたらした。詠唱はよりメロディアスな、キリスト教の賛美歌に似たものになった。踊りは古代の神々ではなく、ハワイの君主を称えるようになった。「島の誕生の物語は、もう語られなくなりました」とカモホアリイ氏は言う。「その代わり、花や雨、王や女王について語るようになったのです」
このときの復活は、長続きはしなかった。1893年、カラカウア王の後継者であるリリウオカラニ女王が米国の実業家たちによって王位を追われると、フラは再び敬遠されるようになる。1898年、ハワイは米国に併合され、2年後には準州となった。