川上未映子が最新長篇で見つめる「90年代」特有の空気。X JAPAN、ラッセン、トラウマ、岡崎京子・・・
大澤 手元にはまだケータイが存在しておらず、あるのはポケベルか、せいぜいピッチ(PHS)くらい。だからずっと面と向かっておしゃべりをしていられて、ファストフード店の硬い椅子で氷の溶けきった不味いコーラを無限にずるずる吸い上げ続けている風景、あれが僕のなかの1990年代後半なんです。もっとも、1978年生まれの僕がその時代を10代後半として過ごしたからというだけのことなのかもしれませんが。
『黄色い家』の中心人物、花もそんな僕とほぼ同じ世代です。蘭とはじめて遊ぶのに、渋谷で『タイタニック』観て、ゲーセンで列に並んでプリクラ撮って、センター街のマクドナルドでお昼を食べて、住んでいる三茶に戻ってやっぱりマックのジュースとポテトでおしゃべり。
大澤 作品には90年代後半特有の空気が詰まっています。10代後半の少女3人がひょんなことから40歳手前の黄美子と奇妙な共同生活をはじめ、その周囲の大人たちと水商売や詐欺を通じて関わっていくのが物語の基本線です。周期説的に見ても、20歳差に設定したところが物語を動かすポイントになっている。設定は事前にかなり練り込まれたんでしょうか。
川上 いつもわりと設定を固めてから書き始めることが多いんですが、今回はあまり考えませんでした。家の坪数と間取りと、第1章の「再会」から第13章の「黄落」まで章のタイトルだけを決めて、あとは何とかなるだろうと思いながら書いていきました。だからどういう展開になるか、自分でも詳しいところはよくわからなかった。
1年前に出した短編集『春のこわいもの』で書いた、過去に自分のやったことが現在を追いかけてくる、というのを長編でやったらどうなるかなというのが、最初に考えたことでした。また、新聞という媒体に小説を連載するなら、その媒体への批評も含められるといいと思っていましたので、40歳になった現在の花が、ネットである新聞記事を読むところから始めようと決めました。そこから過去を隠すように覆っていた絨毯が一枚ずつめくれていって、最後には冒頭の新聞記事の印象が、読者の中で大きく変わるという構造にしたいなと思ったんです。