国境を超えた文化交流の拠点を立ち上げた、戦後日本文化の「原点」ともいえる「一人の男」がいた…!
――村井さんが『モンパルナス1934』を書こうと思ったきっかけについて聞かせてください。村井さんは川添さんの近くで仕事ぶりを見て、そこから受けた影響がとても大きかったということですが、どういうところが川添浩史という人の由来になったのかを改めて解き明かしたいという思いがあったということでしょうか。
川添さんと出会ったとき、僕は15歳でした。川添さんが亡くなった時は25歳だった。10年しか知らなかったわけです。もちろん魅力のある人だし、いろんなことも教わったけれど、断片的にしか知らないことも多い。ロバート・キャパと仲が良くてキャパが川添さんのモンパルナスのアパートに転がり込んできて居候していたとか、カメラがないんで毎日新聞社から借りて貸してあげたらそれを壊したとか、そういう話は断片的には聞いていたんだけど、こっちもまだ子供だったからよくわからないこともたくさんありました。特にわからなかったのは、彼の思想的な背景ですね。1930年代から1940年代、戦争が始まって終わるまでの間に彼が何をしていたかもあまり聞いてなかったけれど、それも調べるといろいろわかってきた。