大阪の古層、無縁の原理と築かれた倫理 思想家・人類学者 中沢新一さん
■異なるものに同じ原理探す
--せっかく大阪に来られたので、大阪出身の民俗学者、折口信夫(おりくちしのぶ)の話から。著書「古代から来た未来人」には、折口の学問への愛があふれていますね
中沢 大学生のときは随分読みました。折口さんに(書物で)出会ったときは、あっ、この人は自分と同じ発想をしている、そう思いました。僕は子供のころからアナロジー(類推)癖があるというか、異なるものの間に共通するものを探すのが得意でした。表面的には違うけど直感を働かせてみると、つながっている、同じ原理で動いている。それが見えてしまうのです。こういう思考方法を類化性能といいますが、折口さんの学問は類化性能を駆使してできています。僕のような発想でもひとつの学問をつくれるんだと、感動しました。
--東京大学で生物を専攻しようと理科系に入ったが、宗教学に転じました
中沢 理科から文科に変えるきっかけをつくったのも折口さんだった気がします。学問は理系とか文系とか分かれていますが、僕の関心は分けることができなかった。生物学は好きだし、数学も芸能や宗教も好きでした。こんな若者は何を専攻したらいいのでしょう。生物学を選んだものの、当時は遺伝子解析がどんどん進み始めるという状況で、自分がやりたい生物学ではないと感じた。どこに身を置いていいのかわからない、というのが正直な気持ちでした。だったら類化性能が最も現れる領域にしようと。それで宗教学に転じたのです。
--類化性能とは、耳慣れない言葉ですね
中沢 フランスの文学者、アンドレ・ブルトンに「通底器」という本がありますが、これに近い考えです。通底器とは、見えている部分は全く違ういろんなジャンルのものを、底でつなげる管のようなもの。シュールレアリストの発想です。つげ義春さんの漫画で、温泉場の湯壺(ゆつぼ)が全部底でつながっている、というものがありました。潜ると別の湯壺に出てしまうんです。これこそ通底器だと思いました。自分が身を置くべき場所、研究したいのは、この温泉場の底のような部分だと思ったのです。
■非合理含むレンマ学が必要
中沢新一さんは宗教や神話といった人間精神の地下水脈に分け入り、流れを探ってきた。西欧近代が無視してきた非合理を含む、新たな思考法が必要だという。
--折口信夫(おりくちしのぶ)の類化性能、ブルトンの通底器と魅力的な言葉が出てきました。言い方は違えども、考え方は共通していますね
中沢 フランスの人類学者、レヴィ=ストロースの神話学にも影響を受けました。神話は場所や時代を変えて、自在に変換していきます。なぜか。表面には現れないひとつの普遍神話のようなものが根本にあり、現実の世界にいろんな神話となって現れているからです。多様な神話のおおもとは同じなのです。アインシュタインの相対性理論にも似たものを感じました。いろいろな世界が変換をとげていくのですから。
--折口からアインシュタインまで幅広いですね
中沢 そういう方法で考えると、宗教の違いなんてたいした意味はないんです。イスラム教とキリスト教は完全に相互変換できる関係にある。おおもとに人類普遍の宗教のようなものがひとつ存在し、各宗教はそのバリエーションといえる。決して表面には出ない、そのおおもとの宗教がどういう形をしているのか。僕はそれを探し求めてチベットで見つけた。もちろん現地の人々が行っているのは個別のチベット仏教ですが、奥にある考え方はその普遍に触れているものでした。
--近代以降は日本も含め西欧的な考えが、世界中を覆いました。それはキリスト教に関係しますか
中沢 ローマに興ったカトリックは、合理性を重視する思考を発達させました。そして常に聖書に照らして現実を理解し、その解釈を変えながら現代まできた。民主主義などもこの延長上にあります。人間はどんどん賢く理性的になり、歴史は前に進んでいくと彼らは考える。民主主義が世界中に広まるといった米国の政治学者、フランシス・フクヤマ氏のような考えがその代表でしょう。でも現実はそうではない。今回のプーチン大統領の暴挙は、西欧的な合理性では理解できません。西欧で発達した現実解釈の方法が、揺るがされているのです。
--ではどうすれば
中沢 人間精神の底に地下水のように流れる混沌(こんとん)としたもの、それを見る必要があります。例えば会話。言葉がかみあわないのに進むことはよくある。近代科学は言語を中心に組み立てられたが、人間の心は言語では処理できない部分で成り立っています。言葉より芸術のほうが深層に触れているでしょう。人間は理性的な存在ではないと考えたほうが、いいのです。
--具体的な対処方法は
中沢 ロゴスとレンマという考え方が有効です。ロゴスは順序立てて物事を把握する論理で、レンマはあらゆるものが連動しているとして、全体を把握する心の動きです。近代はロゴスに偏った考えが支配的でしたが、それでわかるのは世界の一部でしかない。レンマ的な思考を学ぶレンマ学の確立が必要だと思います。
■商人の町、原点を探る
中沢新一さんは大阪を歩き、精神の古層を探った。大阪人が気づいていない大阪を次々と明るみにした。
――著書「大阪アースダイバー」は、地質的な成り立ちから説いていますね
中沢 東成、西成という地名がありますが、東と西に土地が成り出たという意味ですね。昔は半島だった上町台地の、東や西に淀川や大和川が土を運び、浅い海から陸が出てきた。砂州はどんどん形がかわっていく。既存の所有権がないそんな土地に、人々が住みつきはじめました。もといた土地とか共同体から離れ、個人と個人で新しい人間関係を築いてきました。
――どんなひとたちが住み着いたのですか
中沢 瀬戸内海の東の端にある大阪には、西の方から繰り返し、新しい移住者がやってきて、そのたまり場になりました。海民とよばれる、移動性に富み、土地に根付く性格が弱い半農半漁のひとたちが多かった。稲作をもたらして海から陸になった土地を水田にかえましたが、彼らは商業と相性がよかった。いまの大阪中心部付近に住み着いた海民はやがて、商人のはじまりとなっていきました。
――商人の町となる原点は海民にあったのですね
中沢 海民度の高さは大阪を考えるうえで重要です。商人はカネを扱いますが、カネもまたどんどん動いていくものです。商人と同じく土地に帰属しない。カネが介在することで人からモノが離れる。モノは動き、カネも動く。不動産ですら動産にかえてしまうのがカネですから。鎌倉時代以降の武家社会は土地への執着を強くしますが、商人たちは農民や武士の間を水のように縫って活動しました。
――江戸とは違いますか
中沢 徳川幕府が開いた江戸は農村の拡大版のような性格が強いのですが、大阪は純粋な意味で都市的です。生まれや家柄に関係なく人を個人として見る。日本の都市では大阪で、「無縁の原理」が最もうまく働いたといえるでしょう。
――人と人の関係が希薄になり、無縁社会などと否定的に言われる今日ですが
中沢 大阪は無縁の力が働く都市でしたが、一方、新しい人間関係や倫理を形成してきた町でもあります。大阪商人は「座」の原理にもとづく、農村とは違うゆるやかで自由な共同体をつくった。そしてそこで重要なのが信用第一という倫理観です。船場商人は契約書ではなく酒をくみかわして誓いとした。万一決めごとを破れば以後取引ができなくなるから、信用は絶対的なものでした。複雑な商取引全体を人間関係ベースに構築したというのは、すごいことだと思います。
――無縁の中からできた、新しい形の縁ですね
中沢 大阪の芸能も海民が持ち込んだものです。漫才のボケとツッコミなんて、まじめな神とまぜっかえしの神という神様コンビの構造ですね。大阪の人は会話に笑いが多く、自分をおとしめて相手をたて、関係性をうまくコントロールしている。この町は人間に対する愛があるなって、大阪に来るたびに思うんですよ。(聞き手 坂本英彰)
◆なかざわ・しんいち 京都大こころの未来研究センター特任教授、千葉工業大日本文化再生研究センター所長。昭和25年、山梨県生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程満期退学。東京外国語大助手時代に著した「チベットのモーツァルト」(58年)は思想書として異例のベストセラー。チベット仏教を学び、人類全体の思考を視野に精神の考古学を開拓した。中央大教授、多摩美術大芸術人類学研究所所長、明治大野生の科学研究所所長など歴任。「森のバロック」「アースダイバー」「レンマ学」など著書多数。