古今東西 かしゆか商店【淡竹の茶筅】
先日、茶の湯に使われる天目茶碗に触れる機会がありました。茶碗の美しさもさることながら、心惹かれたのが茶道具。特に、どう作られるのか気になったのが茶筅です。
「始まりは室町時代。茶人の村田珠光に端を発し、奈良県生駒市の高山で生産されるようになりました。今も国産茶筅の約9割を、この地域の18軒だけで作っています」
そう教えてくださったのは茶筅師の谷村丹後さん。500年前から続く谷村家の20代目です。
「抹茶を攪拌する茶筅は、いわば消耗品。個性を愛でる茶碗と違ってお茶席の記録にも作者名が記されない唯一の存在です。とはいえ、その良し悪しがお茶の味を左右する重要な道具でもある。昔は家族だけで製作し、技術が盗まれないよう夜中に作業していたんですよ」
一子相伝で作られてきた茶筅は、茶道の流派によって、使う竹や形が異なるそう。この日は「白竹」と呼ばれる淡竹や「黒竹」と呼ばれる紫竹の茶筅作りを拝見しました。材料は生えて2~3年の細い竹。煮沸して油抜きし、1か月ほど天日干しした後、1~2年寝かせたものを使います。
その竹の硬い表皮を削り、16等分に割る。表皮の下の皮を厚み1mmほど残して内側を落とす。16に割ったものをさらに細く割る……と細かな作業を続け、極細の「穂」を作ります。驚いたのは、均一に見えた穂が、実は太・細・太・細と微差をつけて作られていたことや、穂の内側を薄く削ぎつつカーブをつける「味削り」の繊細なこと。茶筅の外側になる外穂は、すでに1本1本が針のような細さなのに、さらに角を落として流線形にする。すべての手技が、細くても折れにくく、よくしなり、お茶の中でスムースに動くようにと考えられたものなんです。