還暦パパの異次元子育て 父親からパパになれた公園デビュー
半世紀ほど前、昭和ひとケタ生まれのモーレツ会社員だった私の父は、イクメンどころか、土曜日も半日仕事の「半ドン」で、日曜日は寝転がってテレビに酒。つかのまの休息を割いて子供の遊び相手をするだけで、「家族サービス」と呼ばれた。
社会環境も意識も大きく変わった。では、平成を飛ばして令和でようやく子宝に恵まれた私は、胸を張って育児を語れるだろうか。
息子との出逢いは、少し異質だった。
妊娠後期の妻が突然、心筋炎となり心不全の状態で、緊急帝王切開から産まれた。深夜、妻はまだ生死の間をさまよっていた。小児科の当直医に「お話ししておきたいことがあります」と部屋に通され、「28週で子供を取り出すことの意味が分かりますか」と、早産児が直面する可能性があるさまざまな危険について、説明があった。
頰を打たれた気がして、このとき父親の自覚が生まれた。4日後、それぞれのベッドを近づける形で母子対面が実現して以降、妻は劇的に回復し、息子はすくすく育った。
母子ともに元気になってからは、接する時間が長い、つまりもっとも育児で手を動かす母親が、グッと距離を縮めた。言葉を覚えるのがゆっくりだった息子が、「ママ」とはっきり言ったのは1歳3カ月ごろ。
「パパ」はその半年近く後のことだ。それも私の帰宅時、携帯電話で、「もうすぐ帰るよ」と連絡したあと、妻が「パパかな?」と息子に話しかけてくれた〝学習効果〟のおかげ。かわいい盛りにもっと、体当たりで接してあげなくてはと思っている。
ある日曜日、大きな遊具がある公園で息子と遊んだ。妻は木陰で見守っている。父親がぎこちない感じで、遊具に興じる子供を励まし、声をかける風景があちこちにあった。そこで1人、ひときわ大きな声の父親が「隠れているのはどこかな?」と遊具でかくれんぼを始めた。いかにも子育て慣れした感じを漂わせていた。だが、「みんなの公園なのに…」という無言の圧を感じたのか、ほどなくいなくなった。
これみよがしのパフォーマンスがなくても、子供は自分の父親をよく見ている。公園でひんぱんに遊ぶようになってから、帰宅後の息子の表情は明らかに変わった。
うちの子は、母親に甘えるときに、「どっこいしょ(して)」と言う。47歳。妻も、抱っこするのがまあまあキツイ年齢なので、つい「どっこいしょ」と言ってしまうことに由来する。
先日の夜、息子が膝に突進してきた。遊び足りないらしい。そして、初めて父親に「どっこいしょ!」と求めてきた。
来月迎える3歳の誕生日を目前に、やっと父親からパパになれた気がした。うれしい半面、「もう1回」「もう1回」と何度も求められ、月曜日から腰の痛みに悩まされている。
■プロフィル
中本裕己(なかもと・ひろみ) 昭和38年生まれ。夕刊フジ編集長。7月に3歳になる男児のパパ。
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