2月14日は聖人バレンタインが斬首された日だった、謎多き記念日の背景
聖バレンティヌスの伝説は、複数の聖職者たちの生涯をミックスしたものであり、特定の一人の物語ではないと考えられている。歴史的な文献には、3世紀に、2月14日に亡くなったバレンティーニという名の聖職者が3人いることが示されているが、その一人ひとりについてわかっていることはほとんどないと、米南カリフォルニア大学の宗教学・歴史学教授で、バレンティヌスに関する世界的な権威の一人であるリサ・バイテル氏は言う。
これら3人のバレンティーニのうち、1人はアフリカで命を落とした。2人目はローマ皇帝クラウディウス・ゴティクスによって首をはねられた司祭だ。そして3人目はイタリア中部のローマ近郊に位置するテルニの司教で、やはり同じ皇帝によって首を落とされている。2人のバレンティーニがどちらも斬首されたというのは考えにくいため、おそらくはこの陰惨な事件は、もとは一つだった伝説が分かれて伝わった可能性が高いと、バイテル氏は言う。また、これら3人の聖人たちが恋愛成就に関わる行動をとったという証拠も存在しない。もともと2月14日は、聖バレンティヌスが処刑された日を際立たせるための宗教的な祝祭だった。
それから1000年以上がたち、愛の祝祭の日としてのバレンタインデーに初めて言及したのは、14世紀の英国人作家ジェフリー・チョーサーだ。チョーサーの著作をきっかけとして、恋人たちがこの年に一度の祝祭を祝う伝統が生まれたと、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で歴史と神学を教えるヘンリー・ケリー氏は述べている。氏によると、現在聖バレンティヌスと結び付けられている華やかな物語の多くは「架空のもの」だという。
不確実な部分がこれだけ多いことを考えると、聖バレンティヌスの遺骨を所有していると主張する教会がヨーロッパ各地にあるのもうなずける。聖人との具体的なつながりは教会に大きなメリットをもたらしたと、バイテル氏は言う。「その聖人がよく知られた存在であるほど、たくさんの巡礼者がやってきます。聖人の伝記を書き換えて、その人が特定の場所にいたことを盛り込むのはたやすいことでした」
すべての教会が聖バレンティヌスの遺骨を持っているとは考えにくいが、バイテル氏によると、これらの教会が互いに競争心や敵意を抱いているという話は聞かないという。そして、ローマ・カトリック教会はこの問題に口をつぐんでいる。
「バチカンは聖人の遺骸について何の見解も示しません」とバイテル氏は言う。「教会上層部は、聖遺物の入手と使用についてはたいした規制もせずに放置しています。聖遺物は教会に顧客を、街に巡礼者を、教会の金庫に資金をもたらします。神学者らは当初から聖遺物の売買には批判的でした。聖遺物の商人たちが偽物を扱っていることは広く知られていたのです。しかし一方で人々は、聖人には奇跡的な量の聖遺物を提供することができ、いくつもの教会が特定の聖人の遺骨を所有していると主張してもおかしくないのだと、進んで信じたがりました」