薬師寺・高田好胤師の説法がよみがえる 時代超えた普遍の語り
高田好胤師は、厳しい指導で知られた薬師寺の橋本凝胤(はしもと・ぎょういん)師に師事。昭和42年、薬師寺の管主に就任すると、歴史上の戦や災害で大半が失われていた「白鳳伽藍(はくほうがらん)」の復興を目指す。写経の納経料をその資金に充てるという「写経勧進」を始め、全国を行脚した。51年に金堂の再建を実現。その後、西塔(さいとう)や中門などの復興も果たした。この間、先の大戦の戦没者慰霊のため、沖縄をはじめ全国各地、海外にも足を延ばした。
好胤師は、寺を訪れる修学旅行生らにユーモアあふれる分かりやすい法話を続けたことでも知られる。「仏心の種をまく」という信念からだった。その巧みな語り口は、仏の教えから市井の出来事まで幅広く「話のおもしろいお坊さん」として人気を集め、テレビやラジオにも出演した。
今回、CD化されたのは、好胤師が昭和60年から平成8年の11年間、日本橋三越本店(東京都中央区)1階の中央ホールで、来店客らに向けて毎月行っていた「まごころ説法」だ。ラジオ放送の収録とは異なり、ライブ録音で聴衆を前に生き生きとした熱い語りが特徴。親孝行、愛や慈悲、殺生について、罪や努力について…。仏教の教えに基づきながら、話題は縦横無尽に、好胤師の優しい声が響く。
好胤師の長女、高田都耶子(つやこ)さん(66)が話の選定から編集まで、自ら監修した。「混沌(こんとん)とした今みたいな時代だからこそ、父の話を聞いていただくと心の支えになるかもしれません。粛々と、自分らしくいればいいのだなと思えたらしめたものです」
CD制作に携わったソニー・ミュージックレーベルズのディレクター、坂本龍也さんは、「好胤師のお話は非常に分かりやすい。聞く人に寄り添う、近くに感じるお人に思います。ライブ音源なので熱く、説法の現場に来ているように心が温かくなります」と話す。
「まごころ説法」CD集(ソニー・ミュージックレーベルズ)は6枚組。1万3200円(税込み)。計77話が収録され、そのほとんどは数分間と短く、まとまった時間が取れなくても聞きやすい。
好胤師はよくこんな話をしていたという。「お写経を『やろう』と思ったらなかなか大変だから、とにかくちょっとやってみなさい。すると文字が文字を呼んで、あっという間に1時間が経つ。清らかな気持ちになってから書こうなんて言ってたら一生書けません。そしてお写経をした後に、自分にもこういう心があったのかと気が付くから。やってみてください」
都耶子さんは「まごころ説法」も、「『聴くぞ』なんて構えずに、何か家事でもしながら聴き流すのもおすすめです」と話している。
古くならない仏教、やさしく語る
今回のCD制作の過程や高田好胤師の人柄、思い出について、長女の高田都耶子さんに聞いた。
《「まごころ説法」は、メモ代わりの録音テープから制作された》
高田都耶子さん「話の長さもそろえないで、これはここまで聞いたほうがいいな、というところまで収録しています。編集スタジオにも入れてもらい、『ここは繰り返しになっているから切って』なんて作業をお願いしました。タイトルは少し難しい仏教のことばを使っています。でも、このままでいいでしょうと。あとは中身を聞いてもらえば分かると思います。父は決して難しく話していませんから」
《収録された好胤師の話は、四半世紀も前のものになる》
都耶子さん「それが、古めかしくないんですね。政治や経済のお話であれば『あの時の話か』と思われるかもしれませんが、仏教の普遍的な話というのは古くならないんだなと、改めて思いました」
《CDの装丁も凝ったものになった》
都耶子さん「薬師寺には修二会(しゅにえ)=花会式(はなえしき)という行法があります。毎年2月に行う大きな行法ですね。和紙でできた造花で飾られるので、花会式と呼ばれ親しまれています。正式にいうと、薬師如来悔過(けか)法要です。悔過というのは、日頃の穢(けが)れ、罪を清めてもらう、吐露するようなことです。それを日本の人々、世界の人々に代わって、薬師如来さまに『ほんとうに一年間申し訳ございませんでした』と申し上げる行法ということになります。その花会式で使われる10種類のお花をモチーフにしてデザインしました」
思考は柔軟 写経勧進に尽力
《附属のブックレットには、東大寺(奈良市)の長老(元管長)、狭川普文さんが文を寄せた。好胤師がテレビ画面の中から『テレビをお仏壇のほうに向けてください。皆さまのご先祖さまの供養をさせていただきます』と呼びかけたのを見て驚いた、というエピソードも》
都耶子さん「父はとても頭が柔らかく、合理的なところがありました。ファクスが初めて出てきたときも、私たちはファクスは会社の事務連絡などに使うものと思っていましたが、父は手紙を書いて送ったり、弔電、祝電代わりにファクスを流して。『このほうが早いやろ』なんて言うのです」
《好胤師は、写経勧進による伽藍復興に尽力した。ただ、この方法で復興資金を得ることに、当時は驚きも批判もあったようだ》
都耶子さん「父は、自分の講演の後にお写経の話をしなくてもよかったらどんなに楽だろう、とも言っていました。お写経でお堂を建てるというのは、大変なことで、荷も重かったと思います。今は当たり前みたいにどこのお寺もお写経をされていますが、あのころはどこもやっておられず、大きな批判もありました。後年、ある人が『あんなに管長さん(好胤師)のことを悪く言っていたお寺が、今みんな、やっているじゃないか』と。でもそれはいいのです。父のやり方がよかったと、納得してそういうふうになってくれたということで、父は喜んでいるのではないでしょうか」
「仏教界の猿之助に」
《好胤師は写経勧進や説法を通じ、各界の人々と幅広い付き合いがあった》
都耶子さん「歌舞伎界では、先代の猿之助さんが早変わり、けれんをやっていて批判されましたが、今はみんなやっていますよね。父は『僕は仏教界の猿之助になる。仏教界でがんばるんだ』と。一生懸命努力する人を『菩薩』というのだそうです。私が先代の猿之助さんにお話をさせていただいたときに、『都耶子さんのお父さんが僕のことを歌舞伎菩薩といってくださったのを座右の銘にしていました』と言ってくださいました。永遠なるものに向かって、永遠の努力をする人を菩薩というと。父も努力を続ける人だったと思います」
《新型コロナや戦争など閉塞感の漂う世の中に、好胤師なら何を語っただろうか》
都耶子さん「なんと言ったでしょうか。それは私も知りたいのです。父たちの世代には智恵がありますし、学徒出陣、寺での貧乏生活、白鳳伽藍の復興を乗り越えた人ですから。私たちの考えを超えることばを語ってくれたと思うのです。父の法話の中に、その答えが見つかるかもしれません」