音楽で心つなげ 言葉頼らぬ「ノンバーバル」コミュニケーション
この日演奏したのは東京アーティスツ合奏団のメンバー3人。有名なクラシック曲や映画音楽のほか、美空ひばりの「川の流れのように」などを弦楽器で奏でた。患者らは目を閉じて弦の音色に聴き入り、約40分間のコンサートが終わると演奏者らに握手を求め、何度も「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。
いわみ芸術劇場は10年以上前から、各地域の学校や公民館、高齢者施設などに出向き、芸術を届ける「アウトリーチ事業」に取り組んでいる。患者向けのコンサートは益田赤十字病院などで開いたこともあるが、新型コロナウイルス感染拡大以降は機会を逸していた。同劇場は、障害者に芸術を届けるための模索も続けており、坪内院長が取り組みに理解を示す松ケ丘病院で初めての開催となった。
坪内院長は「感じる力を掘り起こす必要があるんです。知的な研修だけでなく、生の音に触れて感性を刺激しないといけない」と説明する。研修?と思っていたら「医療者の研修です」と教えてくれた。
確かに患者らの後ろで看護師ら医療従事者も演奏を聴いていた。「例えば自閉症の患者を相手にする場合、空気とか乗りとかといった、言語を介さないコミュニケーションが必要になる。何でも言語化してしまう知的な研修だけではダメなんです」。コンサートは患者だけでなく医療者のためでもあったということだ。
「地域に開かれた病院にしたい。そのためにも外の人との交流が必要」。坪内院長はこのコンサートを第一弾とし、さまざまな芸術分野とのコラボレーションを図っていくつもりだ。
◇自分を再認識、不思議な体験
今回のコンサートを企画したいわみ芸術劇場文化事業課の曳野渚さん(43)が「障害と芸術」について深く考えたきっかけは、2021年11月に参加したイベントだった。益田市川登町の「川登芸術村」で開かれた音楽と美術のワークショップだ。障害者の芸術活動に関心を持つ約40人が集った。日ごろ「言葉」を使って仕事をする社会人ばかりだが、この日は「言葉」はご法度だった。
好きな楽器を手に皆で円になって座り、ボールをパスするように「音」をパスしていく。ピアノの音に合わせて部屋の中をぐるぐる巡りながら、自由に体を動かす。曳野さんは1人、皆と反対方向に回ると、職場の同僚は仕事中には決して見せない滑稽(こっけい)な踊りを披露していた。最後はクラシックや民謡に合わせて、全員で巨大な和紙に絵を描く「音絵(おとえ)」に取り組んだ。「不思議な体験でした。同僚の知らない一面を見たり、自分の性格を再認識したり」と曳野さんは振り返る。
◇障害あっても、生きる力に
イベントの中で曳野さんは、ワークショップを進行した音楽療法士の師井恭子さんの言葉が忘れられない。「障害を持つ人のご家族はあきらめているところがある」。師井さんは約30年間、妹の宮川真智子さんと一緒に、益田市内で音楽療法の教室「くじらリトミックMT音楽教室」を開いている。師井さんは「誰もが同じように芸術に触れられる場ができたらいいが、障害を持つ人やご家族は我慢していることが多い」という実情を語った。
「言葉を取り払うと、音が心を突き動かし、コミュニケーションの幅が広がる。芸術は生きていく力になる」と語る師井さん。曳野さんは、松ケ丘病院で演奏者らに感謝する患者らの姿を思い出し、「障害者や医療従事者に限らず、芸術に触れることで感受性が磨かれる。言葉が全てではないんですね」と話した。【萱原健一】