真似することはできない「描き続けた蓄積」。江口寿史インタビュー
『彼女』」(2018)を皮切りに、全国で展覧会を開催されてきました。こうした展覧会という形態で自身の作品を見せる、ということは江口さんにとってどのような試みなのでしょうか。
イラストを集めて画集を作ることと、展覧会を作ることでは、勝手が全然違いますよね。会場によって見せ方も変わるし、常に同じものにはならない。「東京彼女」(2023年3月14日~4月23日、東京ミッドタウン日比谷 BASE
Q
HALL)で9ヶ所目の展示になりましたが、これまでの展覧会は全部違います。会場によって配置も違いますし、どの作品を大きくするか(デジタルで制作したイラストを大きな出力原画にするかするか)など、絵を描くこととはまったく異なる頭を使います。
最初は金沢での一度きりの展示として終わらせるつもりだったのですが、自分のイラストを大きさに変化をつけながら、実在の空間の展示の構成をするということがに面白さを感じるようになりました。やがて巡回を重ねるうちに、搬入や展示構成など、細かいところまで関わるようになっていきました。
──大きいサイズで出力する原画を決めるとのことですが、どの作品を大きくするのか。その基準を教えてください。
大きいサイズでイラストを出力すると、自分でも気がつかなかったところに気づかされたり、予想していなかった意味が出てきたりするんですよね。デジタルで描いているときはすべて同じサイズなんですけど「これを大きくしてみたいみたい、自分が見てみたい」という、興味を優先しながら決めています。
──週刊少年漫画誌で連載をしていた時代はアナログのインクとペンで原稿を描いていらっしゃいましたが、デジタルで作画されるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
2000年前後ですね。それまでカラーイラストを制作するときに使っていた「パントン・オーバーレイ」(*1)が製造中止になるということで、仕方なくデジタルに移行しました。ただ、アナログ時代とやっていることは変わらないと思っています。手で色を貼るか、デジタル上で色を貼るか、という違いだけですね。
一時期「コピック」(*2)を試した時期もありましたし、アクリル絵具を使ったこともあります。展覧会ではそういった時代のカラー原画を見ることもできますが、やはりアナログの画材は一度離れてしまうと技術を戻すために時間がかかります。デジタルにはそういった懸念がないのは助かりますね。
ただ、デジタルで作画していると言っても、現在多くのイラストレーターがやっているような、写真を取り込んで加工し背景のベースにするといったことはしていません。背景もすべて、手で描いています。
僕にとって漫画というのは100パーセントが線なんです。線で描くことが絵を描くことだと思っている。写真を取り込むにしても漫画の線にしてほしいと思う、古い意見だというのはわかっていますが、やはり単純に実写を取り込んで加工するようなことはあんまり好きではないんですよね。もちろん、漫画の面白さというのは絵や線だけにあるわけではないんですが、やはり僕は絵を描くうえでは全部自分の線にしたいと思っています。
──次は江口さんが長くモチーフとしてきた女性像についてお聞きしたいです。江口さんはいつもその時代の流行や嗜好を反映した女性を描いていると思いますが、ただたんに女性を描くだけでなく、そこに時代が投影されていますね。
ファッションについては雑誌などを参考にすることもありますが、基本は普段歩いている街の中で、生活している人たちのリアルな姿を自分の目で見る方が生々しくとらえられます。
僕、子供のときから時間が過ぎ去るのが切ないんですよ。あと、死んでしまうこととか。だから「今ここにしかない瞬間」みたいなものを無意識のうちに蓄積していて、それを絵として留めておきたい気持ちが強いんです。
東京はとくに顕著ですが、日々壊されていく街で「昨日あった風景がもうない」といったことが普通にある。最近はそれについて焦りのようなものが加速していて、だからとくに背景に力を入れて描くことで誰かに届けたい、という思いはありますね。
──今年1月にはカイカイキキギャラリーで個展「NO
MANNER」を開催されました。現代美術ギャラリーで個展をするという試みはどのような経緯で生まれたのでしょうか。
カイカイキキギャラリーの代表の村上隆さんが僕のファンでいてくださって、声をかけてくれました。僕自身は現代美術については全然わからないので、基本的にはその道のプロフェッショナルである村上さんの提案に乗ったといった感じですね。村上さんの手でどのように料理されるのか、楽しむことができた展覧会でした。
──現代美術のお話に乗じて聞いてしまいますが……いま、とくにアート・マーケットで人気のある作家のなかには、江口さんの作風に影響を受けたと思われる方が多くいらっしゃいます。こうした傾向について、江口さんはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
僕の作品だってロイ・リキテンスタインや初期のアンディ・ウォーホル他、たくさんの先人の影響を受けているし、それは知っている人が見れば当然わかることですよね。当然、そういった影響関係はものをつくる人間なら誰にでもある。
ただ、マナーとリスペクトが欲しいかな、というのはあって。僕は自分が影響を受けたものについては公言している。それは先行している作家に対する尊敬があるからです。そこをぼやかして作品を作って売るというのは、ものを作る目的が全部お金なんじゃないかと思えてしまうんですよね。リスペクトもなく、いま流行っているからそのテイストに寄せていく、というのは、ちょっと僕には座りが悪く感じられます。もちろん、僕もお金は欲しいですけど、お金が一番なわけではない。
だから、カイカイキキギャラリーの個展名は「NO
MANNER」にしたんです。みんながいま作っているものって、先人たちからもらったたくさんの要素が蓄積した結果ですよね。でも、それをちゃんと作る側が伝えていかないと、それに触れる若い世代がそれを知らないままになってしまう。一つ知ると、それを入り口にさらに知っていくことができるんですよ。歴史や体系を知ることは大事なことなんです。だから僕も真似されること自体は全然問題ないんですけど、そこに最低限のマナーと好奇心が欲しいと思いますね。
──しかし絵の技術という観点では、少年漫画誌への週刊連載のようなとてつもない仕事量をこなしていますし、江口さんが描き続けてきた蓄積によって獲得したものは、そう簡単に真似できるものではないとも思います。
あたりまえですよ。僕が40年間、どれだけ苦労してきたと思ってるんですか(笑)。僕の絵に真似しやすい要素があるとしたら、それは複雑な実験を積み重ねて、とにかく数を描いて、そのうえで削ぎ落とした単純さです。
見た目の単純さだけを真似することはそんなに難しいことではないと思いますが、本当の意味での真似は絶対にできないと自負しています。
だから本当に真似したいのであれば、その蓄積を学ばなければいけないし、上辺だけではなく、真摯に真似をして欲しいと思っています。僕がリキテンスタインやウォーホルをどれだけ見て、どれだけ分析して、どれだけ誠実に真似したか、ということですよ。
本当はアートって言葉や思想、ロジックが作品とセットで存在しなければけないはずじゃないですか。アートをやっている以上、ゴールはお金じゃないと思うんですよね。
──今後、ご自身の作品が漫画の歴史、イラストの歴史、あるいはアートの歴史に残っていく、といった意識をしたことはあるのでしょうか。
そういうことについては興味ないですし、考えていないですね。死んだら関係ないというか(笑)。
もちろん、僕も小村雪岱や鏑木清方から学ぶことは多いですし、それができるのは歴史が彼らを残してくれたからではあります。でも、やはり僕が興味あるのは「いま」なんですよね。自分はまだ完成していないですし、やりたいことがいっぱいある。
それは、出自が漫画家だということも大きいです。とくに僕が描いてきたようなギャグ漫画というジャンルは、世の中の「いま」について呼応するという姿勢が常に必要になります。その視点や価値観は、今でも僕の重要な要素だと思います。
──最後に、今後ご自身の作品を目にする若い人たちメッセージがあれば教えてください。
僕の作品や展覧会にはいろいろな要素があると思うのですが、その中から自分の「好き」を探してもらいたいですね。自分の気持ちに合っている、自分も描いてみたくなった、そんな絵が見つかったなら、とても嬉しいです。
*1──米・パントーン社が販売していた貼って使用するカラーシート画材
*2──日本のトゥーマーカープロダクツが販売しているアルコール・マーカー