『素敵な人生の終り方』監督・製作・脚本:ジャド・アパトー 評者:三浦哲哉【気まぐれ映画館】
恥ずかしながら、私はその時点でアパトー映画を一本も見ていなかった。日本でも話題になった『40歳の童貞男』(2005)の予告編を見て、タイトル通りのベタで軽薄な映画だと勘違いしてしまい、見るのをサボりつづけていたのだ。この機会にと思い、『童貞男』を手始めに監督作をつづけざまに見た。ものすごく笑えた。それだけでなく、途中からティッシュで涙を拭いながら見るほかなくなる、感動的な作品ばかりだった。
講演会で、アパトーは自作の笑いについて、こんなふうに語った。私は、人間の情けなく、おバカで救いがたい側面に関心がある。それを遠慮なく掘り下げ、できるだけ率直にさらけ出したいと思っている。そのとき初めて、相手が本当の意味で興味深い存在になり、愛おしさが湧いてくるからだ。そう述べる際の彼の真摯さには打たれるものがあった。
おバカも突き抜ければ、やがて愛おしい存在に思えてくる、というのはまさにそのとおりで、アパトー・マジックと言いたくなる。たとえば『40歳からの家族ケーカク』(2012)には、いかにも器の小さい主人公の中年男(ポール・ラッド)が登場し、家族に嘘をついて自分一人の時間を確保しようとセコく立ち回る。自分も似たようなものなので身につまされつつ、なんてバカな奴! とゲラゲラ笑い、同時に、こいつが救われてほしい……と心から願った。
彼の監督作から一本選ぶとしたら。難しいけれど、『素敵な人生の終り方』(2009)にしたい。人気コメディアンが重病で余命宣告を受け、自分の生き方を少し見直すまでを、山あり谷ありで描く。監督の盟友アダム・サンドラーが主演。たっぷり笑わせてくれ、しみじみと切ない余韻が残る。
どうして切ないのか。その点にこの映画の名作たるゆえんがある。本作はコメディの哀しみを描くコメディだ。原題はシンプルで意味深な〝Funny People〟。サンドラーは劇中で、コメディアンになれるのはFunny Peopleだけだと言う。最低最悪の下ネタを口にして悪びれず、相手が子どもだろうが平然とネタにして動じない。無感動で武装し、一般人には到底口にできないことを言ってのける現代の英雄がコメディアンだ。だが、それゆえに彼はふつうの幸せを手にできない。結婚生活は長続きせず、親族とも疎遠だ。funnyであることの栄光と悲哀を体現するサンドラーが真に迫ってすばらしい。見ていて切なく、他人事に思えない。どうしてだろう。私たち現代人の多くが、funnyではないにせよ、funnyなものに憧れ、そうなってみたいという思いに囚われているからではないか。
映画の決定的な瞬間に現れる、長い長い後退移動ショットが美しく、忘れられない。
(『中央公論』2023年2月号より)
【評者】
◆三浦哲哉
青山学院大学教授