誰かの旅が自身を切り拓く。「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」展が東京都庭園美術館で開幕
東京都庭園美術館は、1933年に建設されたアール・デコ様式の旧朝香宮邸本館建築がもととなっていることで知られている。本展は、行動制限が強いられたコロナ禍において、人々の旅に対して高まった意欲や想いを汲み取り、朝香宮夫妻(鳩彦王、允子妃)のパリ旅行や鉄道関連のコレクション、さらに現代アーティストによる旅の風景を追体験することで、「旅とはいったいなんなのか」について再考するものだ。
会場は大きく分けて3部構成となっている。第1部では、朝香宮夫妻による100年前のパリ旅行へのイントロダクションとして、当時のガイドブックや写真・文筆などの記録、さらにはアール・デコ博覧会との出会いなど、5つの視点を紹介する。
大広間では、朝香宮夫妻がたどった約40日間の航路を地球儀で表すとともに、当時のガイドブックや鳩彦王が家族に宛てた絵葉書などが展示されている。
次の小客室では、鳩彦王によって撮影された写真の数々が展示。朝香宮夫妻のように異国を旅する人々にとって、旅先での写真は記念の品でもあり、情報を他者と共有するための手段であったことがここではうかがえる。なお、鳩彦王が所持していたカメラは現存しないことから、本展では、当時のものと同型品が展示されている。
大客室では、1925年に朝香宮夫妻が公式視察をした「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博覧会)」が取り上げられる。この博覧会が、のちにアール・デコの粋を集めた新邸が誕生するきっかけとなったという。
会場には夫妻が帰国時に持ち帰った名品も展示。100年の時を超えて旅の記憶を伝えてくれるかのようだ。
喫煙室は、允子妃に焦点を当てたセクションだ。帰国後、夫妻は新邸の建設に着手。とくに允子妃はフランス語の資料の翻訳や、みずから暖房機用のカバーデザインを手がけるなど、熱心に新邸の建設に取り組んだ。滞欧中も美術館やブティックを巡るなどパリの芸術文化を堪能した允子妃は、当時最先端のファッションを身に纏っていたことから、その姿の写真が雑誌『皇族画報』や『婦人画報』に掲載され、女性たちの憧れの的でもあった。
そして1933年、建物の細部にいたるまでアール・デコ様式で統一された新邸が完成。朝香宮夫妻の旅の結晶とも言えるこの邸宅は90年越しの贈り物として、我々を旅の追体験へと誘ってくれる。
本館の2階に上がると、グラフィック・デザイナーのカッサンドル(1901~1968)によるアール・デコの旅風景を物語るようなポスターが展示されている。1920~30年代前半、ヨーロッパの主要都市では交通手段、複製技術、交通機関が目覚ましい発展を遂げていた。大西洋を横断する巨大な豪華客船が次々と登場し、注目を集めていたのもこの時代だ。カッサンドルの洗練されたシンプルな形態と遠近法を用いた大胆な構成は、大衆の旅心を掻き立てた。
朝香宮夫妻の旅から40年後、そのルートとほぼ同じ航路でフランスへと旅立ったひとりの若者がいた。のちに世界的なファッション・デザイナーとしてその名を馳せる、髙田賢三だ。当時25歳の髙田にとって初めてであった海外旅行。髙田は恩師の助言もあり、船旅を選択した。船は香港やサイゴン、シンガポール、コロンボなど様々な国をめぐり、そこで異国の服飾文化に触れた髙田は、のちにフォークロア(民族衣装)・ルックを生み出す。KENZOの創作はこの体験をきっかけにして始まった。
第2部では、少し趣向を変えて、鉄道関連資料の数々から旅への思いを馳せる。妃殿下寝室や北の間では、鉄道資料蒐集家・中村俊一朗のホビールームを再現。そこには、鉄道ポスターから蒸気機関車のナンバープレート、信号機の部品にいたるまで、鉄道に関するあらゆるコレクションが所狭しと並べられている。ここでは、記憶から忘れ去られてしまうような品々への懐かしさと、新たなる旅への想像力が掻き立てられる。
本展の見どころのひとつに、庭園美術館に残る旅の記憶と現代アーティストらとの共演が挙げられる。第3部では、6人の現代アーティストら独自の視点で語られる旅のかたちに着目する。
福田尚代は、文字や言葉を独自の感覚と思考でとらえ、その世界観を、身近な本や文房具に手作業を加えることで作品化するアーティスト。本展では、代表的な本のシリーズ「翼あるもの」を展示。福田が読了した古今東西の本が、旧朝香宮邸の書庫や書斎、殿下居間にあたかも鳥が群れを成すように配置されている。福田によって1ページずつ折りたたまれた本に立ち現れる1行の文字が、鑑賞者の思考や経験を呼び起こすようであった。
宮永愛子は、常温で気化するナフタリンや川で採取した塩など、周囲の影響を受けやすい素材を用い、その特性から時間とともに形が変容する作品を発表するアーティストだ。本展では、自身の作品と朝香宮夫妻の所蔵品をともに展示し、過去と現在が交錯するようなインスタレーションを展示する。宮永は旅を「予測のつかない変化の中に身を委ねること」と定義。「変わりながらもあり続ける世界」を可視化した作品群は、我々がまだ旅の途中であることに気づかせてくれる。
ペルー共和国出身で東京在住の相川勝は、我々を取り巻く複製画像やデジタル情報が、人間の感覚や意識に及ぼす影響に関心を寄せて作品を制作するアーティスト。本展では、相川が小学生の頃家族と旅をしたというペルーのパンアメリカン・ハイウェイを2022年に再訪するCG映像を公開。30年以上の時を経た、1万5000キロメートル離れた相川の思い出の地へと、肉体の伴わない旅に誘われる。
さわひらきは、日常の見慣れた風景の中に現れる、そこには存在しないはずの要素を映像に持ち込み、懐かしさと非現実感が共存する独自の世界を展開する。本展では、旧朝香宮邸を自身で撮影した実写映像《remains》を作品に組み込み、本館大食堂のアール・デコ空間でインスタレーションとして展開をする。
栗田宏一は20代半ばからバックパッカーとして世界をめぐり、各地の風土の中に身を置くことで、人間と自然に対する思考を深めてきた。1990年頃より自身の足元にある土の多様性に着眼し、日本各地を訪ね、一握りの土を採集する「ソイル・ライブラリー・プロジェクト」を行っている。本展では、そのインスタレーションとともに、2021年11月から開幕にいたる現在まで庭園美術館に送られてきた、日々の土採取を記録する絵葉書シリーズ《Walking
Diary》を見ることができる。
また、本館と新館をつなぐ廊下には日本各地の土を採取した《49の道しるべ》もひっそりと展示されているため、こちらも見逃さずに鑑賞してほしい。
人間の知覚システムにおける可能性を開拓する表現へ挑戦しているサウンドアーティスト・evala。本展では、evalaが長年録り集めた音源を用いて、生き物のように飛び交う音に包み込まれる幻想的な空間を立ち上げた。音は頭のなかでイメージへと変わり、まるで様々な世界に瞬間移動をしているような感覚を起こさせるものであった。
開幕に先立ち、本展を担当した学芸員の森千花は、以下のようにコメントしている。「東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)は朝香宮夫妻の『旅の果実』であり、(その場所や所蔵品を通じて)大きな旅物語のなかにトリップすることができる。誰かの旅は『いつかわたしの旅になる』。この展覧会で出会う数々の旅が、(鑑賞者の)想像をふくらませるきっかけとなり、新しい旅を切り開く第一歩となったらうれしい」。