漱石が慕った菅虎雄 2人の像「金蘭の友」…出身地・久留米の公園に
菅は帝国大(現・東京大)在学中に2年後輩の漱石と知り合い、交流が始まった。漱石に愛媛県尋常中学校や旧制五高(現・熊本大)の英語教師の職を紹介し、小説「坊っちゃん」や「草枕」の舞台となる地で暮らすきっかけをつくった。帰郷した菅を漱石が訪ね、高良山に登ったこともあったという。
2010年には「菅の遺徳を後世に伝えたい」と、有志によって「菅虎雄先生顕彰会」が作られ、久留米市京町の梅林寺に顕彰碑が建てられた。
ブロンズ像は、漱石ら日本の近代文学者に関心を持っていた吉野さんが、顕彰会の会長を務める福岡女学院大名誉教授の原武哲(さとる)さん(90)から、漱石が菅を兄のように慕っていたことを聞き、寄贈を申し出た。
像の高さは台座を含め約1・7メートル。椅子に座った漱石とその傍らに立つ菅の姿をモチーフにした。そばには原武さんによる解説板もある。
3月25日に除幕式が行われ、吉野さんや原武さん、顕彰会関係者ら約70人が出席。吉野さんは「漱石や菅虎雄との出会いが私の人生を変えた。像を寄贈できてうれしい」とあいさつし、明善高放送部の生徒たちが、漱石が久留米を訪れた際に詠んだ俳句を朗読して花を添えた。
菅の遠戚にあたる末浪真紀子さん(85)(大阪府寝屋川市)も駆けつけ、「漱石が親友でいたことは、菅にとって大きな財産だったと思う」と感慨深げに語った。原武さんは「菅と漱石の関係は市民にあまり知られていない。ブロンズ像を通して、2人の厚い友情に思いをはせてほしい」と話した。
久留米藩御典医の家に生まれる。帝国大独逸(どいつ)文学科を卒業後、旧制五高や旧制一高などでドイツ語教授を務めた。教え子には芥川龍之介や川端康成、谷崎潤一郎らがいる。書家の顔も持ち、芥川の短編集「羅生門」の表紙の題字を手がけるなどした。