有國明弘 黒人が生み出した「ストリートの知恵」――ヒップホップは何を映し出すか
(『中央公論』2022年7月号より抜粋)
日本時間2月14日に米国ロサンゼルス(LA)近郊で、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の王座決定戦である第56回スーパーボウルが行われた。ここでは、ハーフタイムショーが毎年注目を集める。というのも、これまでに登場してきたのは、マイケル・ジャクソン、ジェームス・ブラウン、ポール・マッカートニー、マドンナ、レディー・ガガなどといった有名ミュージシャンだからだ。今回は、長い歴史の中で初めて、ヒップホップと呼ばれる音楽ジャンルのアーティストがメインアクトとなり、音楽史では「伝説の一日」と称されるほどの日となった。
ではなぜ、今回のハーフタイムショーがそのような評価を得ているのか。56回の歴史の中でヒップホップが初めてメインアクトになったことだけが理由ではない。本稿ではその理由を、ヒップホップという音楽と社会との関係から繙いていきたい。
私たちはヒップホップと聞くと、ラップに代表されるような音楽やヒップホップダンスなどを連想する。しかし、本来はこうしたアートフォーム(芸術形式)や、それらを作り上げてきたアフリカ系アメリカ人(黒人)を中心としたエスニック・マイノリティ文化の総称として用いられる語だ。
ヒップホップ文化は四つの要素で構成されると言われている。それはDJ(※1)、ブレイクダンス(※2)、グラフィティアート(※3)、そしてラップである。中でもラップは、いわゆるヒップホップミュージックと同一視されることが多いが、厳密には別だということに留意されたい。
ヒップホップが誕生したのは、1970年代のニューヨーク市サウスブロンクス地区という、大都市のゲットーである。ゲットーには、都市構造として貧困層やエスニック・マイノリティが集まりやすかった。
同地区は人種的に抑圧されている者や貧困の中でドラッグにおぼれる者が多いエリアで、犯罪が多発し、街をストリート・ギャングが仕切るなど、社会的困難が幾重にも重なっている場所であった。
しかし同時に、黒人やヒスパニックなど、エスニック・マイノリティをルーツとする多様で豊かな文化が混交しうる空間が構成され、それがヒップホップの誕生に大きく寄与することになる。
そのような都市空間(ストリート)で、娯楽として自然発生的に生まれた言葉遊びやダンスが、今日のラップやブレイクダンスとして発展を遂げていく。