社会、思想、精神、すべてを彫刻から考える。「戸谷成雄 彫刻」が長野県立美術館で開催中
─ある全体として」が開催されている。会期は2023年1月29日まで。なお、本展は2023年2月25日より、埼玉県立近代美術館にも巡回する。
戸谷は1947年長野県小川村生まれ。愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻修了。1974年の初個展で発表した《POMPEII・・79》など、彫刻概念の再解釈を試みる作品を制作し、さらにチェーンソーで木材を刻む木彫作品として数々のシリーズを手がけながら彫刻の再構築と可能性を探ってきた。武蔵野美術大学彫刻科でも教鞭をとり、2018年に退任。現在は同彫刻科の名誉教授に名を連ねる。
出身地の展覧会となる本展は戸谷のこれまでの作品を展示しながら、もの派や日本概念派からの影響、近代彫刻との接続など、多面的に戸谷の活動をとらえようとするものだ。
まず、長野県立美術館のエントランスでは巨大な作品《雷神-09》(2009)が来館者を迎える。吹き抜けに向かって棒状の造形がどこまでも伸びていくような本作は、雷に打たれた木から着想されたものだ。その表面にはいくつもの傷が刻まれている。これは彫刻を掘り出すのは「視線」だという戸谷の思想にもとづくものだ。
本展は年代順に作品を並べて戸谷のキャリアを追うものではなく、作品のコンセプトや制作にあたっての思索の類似性によって展示構成がなされている。エントランスから第1展示室に足を踏み入れると、2メートルほどの木柱彫刻が林立する《森Ⅸ》(2008)や、《洞穴体Ⅴ》(2011)、《地霊Ⅲ-a》(1991)といった大型の作品が並ぶ。
《森Ⅸ》は柱が並ぶその様から森や林が連想され、その表面には戸谷が「視線」や「山の稜線」と表現する、チェーンソーを使った無数の切り込みが入れられている。また、表面はくすんだ灰色で着色されており、生命感は希薄だ。この表面の色は木くずを焼いた灰を材料とした素材でつくられており、戸谷は制作を「木を殺す」と表現しているが、その言葉通りこの色は木の死体からつくられている。
《洞穴体Ⅴ》も戸谷の思想の一端がよくわかる作品といえる。立方体のような本作だが、その内部はチェーンソーによってえぐるようにひだがつけられている。上部から見れば、この立方体の中には多くのひだが存在しており、戸谷がテーマのひとつとしてきた「彫刻の内部」を感じさせる。かつて学生運動に強く共鳴し、またその後吉本隆明の思想にも影響を受けたという戸谷。「彫刻の内部」とは、境界を問うという点でたんなる彫刻の問題ではなく、社会全体に対する問いかけにもなっている。
その思想の原点は、2階の第2展示室に展示された初期作品からうかがえる。《器Ⅲ》(1973)は戸谷の愛知県立芸術大学の卒業制作だ。少年が目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐんで立っている具象的な像で、少年が立っている赤い丸は日の丸も連想させる。本作はベトナム戦争のさなか、戸谷自身が何も行動できていないことを痛感して制作された自刻像だという。あばら骨が浮いたような胸部や腹部の表現からは、近代彫刻を参照しながら具象的な彫刻技術を高めていった、当時の戸谷の技術もうかがえるだろう。
大学院時代の作品《竹藪Ⅱ》(1975)は、竹藪のなかにビニール紐をいくつも張り巡らせた、もの派からの影響を感じさせる作品だ。このビニール紐は戸谷いわく「視線」を表現しており、後にチェーンソーで角材に無数につけられていく「視線」との連続性が感じられる。
初期の代表作ともいえる《POMPEI・・79
Part1》(1974/1987)は、イタリア・ポンペイ遺跡で火山灰に埋没した人間から着想を得た。人間の身体部分が空洞として残り、そこに石膏を流し込むことで当時の人の姿を再現するポンペイの調査は有名だが、戸谷はそこにボジとネガ、内と外といった概念を見た。表面とは何か、自他の差異とは何か、そういった問いがこのコンクリートの彫刻に表現されている。
担当学芸員の鈴木幸野はこうした初期作品について次のように語る。「戸谷の作品は、初期の作品にある問題意識が周期的に蘇り、繰り返しかたちを変えて作品となっている。本展ではそういったつながりも感じてほしい」。
《連句的Ⅱ》(1996)は床一面を使った圧巻のインスタレーションだ。本作は96年にケンジタキギャラリーで発表された作品を再制作したもので、寸法もそのままに再現されている。阪神大震災の被害より構想した作品で、中央の痛々しく割れたガラスの周囲にはチョークによる線や粘土の塊が規則性をもって配置されている。寒々しい山脈を思わせるチョークの粉の体積や頭蓋骨のような造形物など、全体的に死の匂いが漂うが、いっぽうで、床に引かれた線の曼荼羅からは、松澤宥をはじめとする日本概念派との類似も感じられる。ここに、悲劇を超越的な想像力で乗り越えようとする希望も感じられはしないだろうか。
最後となる第3展示室で存在感を放つのが《〈境界〉からⅢ》(1995-96)だ。戸谷の「《境界》から」シリーズは、現代社会の様相を反映した具体的なイメージを伴う作品群だ。本作は伝統的な日本家屋をモチーフにしながらも、背面には大きな切り込みがいれられ、また内部も刻み込まれている。自然災害に襲われる家屋をモチーフにしている本作の縁側には、縄文時代の幼児の住居内埋葬を模した造形があしらわれており、災害とともにある日本における、祈りのような作品となっている。
展示室の壁面に張りついた《森化Ⅱ》(2003)も、内部と外部の問題を想起させる作品だ。角柱をふたつに割ることで壁に顔を貼り付けた人物と思わしき姿が対となって現れている。その輪郭はキュビスムの絵画のような多面性をもっており、人間とその影、自己の存在の在り処といった思索を誘発させる。
《双影体Ⅱ》(2001)は一見するとひとつなぎの直方体に見えるが、中央部にはわずかな隙間が空いており、2対であることがわかる。複雑な彫り込みをもった二者は鏡面関係になっているが、それを担保しているのは小さな隙間のみだ。人は空間を何によって把握しているのか。そんなことさえ考えさせる作品だ。
戸谷の作品について、鈴木は次のように総評している。「インパクトのある造形に目が行くが、これらの造形は戸谷本人の身体とも密接に関わっており、行為の延長に存在するもの。戸谷作品は人物彫刻のような近代的な作品と距離があるようでいて、身体を問うという意味では密接につながっている」。
あくまで近代的な表現手段としての彫刻に立脚しながら、その可能性を社会や自己、現代美術の潮流とつなぎあわせて探り続けている戸谷成雄。その思想の片鱗に触れることができる展覧会だ。