51年ぶりの日本人2位入賞:反田恭平、ショパンコンクールを語る
2021年10月に開催されたショパン国際ピアノコンクールで第2位入賞後、演奏会にメディア出演にと、引っ張りだこの毎日の反田恭平。しかし、彼は突如現れた“シンデレラボーイ”ではなく、コンクール挑戦前からすでに音楽界で注目を浴びる存在だった。しかも、ピアニストとしてばかりでなく、気鋭の若手演奏家からなるプロの管弦楽団JNOを自ら立ち上げたり、音楽家のプロデュース業に携わったりと、八面六臂(ろっぴ)の活躍を続けている。そんな27歳の若き音楽家は、いかにして5年に1度の大舞台に臨んだのだろうか。
―いつ頃からショパンコンクールを目指していたのですか?
「初めて存在を知ったのは12歳の時ですね。テレビのドキュメンタリー番組を見て、こういう世界があるんだと。僕はその頃、サッカー選手になりたかったので、ワールドカップでロナウジーニョやベッカムがボールを蹴ると、世界中の何千万人という人が沸き上がる、そんな世界に憧れていました。でも、そのドキュメンタリーを見たら、最後の一音を弾き終わるやいなやお客さんが立ち上がって拍手をして、こんなにも盛り上がるんだと。そういう世界があると知ってからは、あの舞台に立ちたいと意識するようになりました」
―実際に応募することにしたのは、どんな思いがあったからですか? 反田さんはデビューされてからすぐに「チケットが取れないピアニスト」と言われるほど活躍されていたわけですが――。
「ありがたいことに『チケットが取れない』と言っていただいていましたが、その一方で、僕の中では、これは日本でだけのことという思いもありました。日本でいくらもてはやされようが、クラシック音楽は欧州が本場ですから、向こうでも評価されたい。そのためにはどうしたらいいか。もちろん、代役(予定されていた演奏家の代演を務めること)デビューという機会もありますが、手っ取り早いのはコンクールだと思ったのです。
2017年頃に、(ショパンコンクールを)受けるのであれば、事前準備をしておかなければと思ってポーランドに留学したのですが、受けるか受けないかは、最終エントリーの期限近くまで悩みました」