【書評】母、妻、娘として見つめた政治家3代:安倍洋子著『宿命 安倍晋三、安倍晋太郎、岸信介を語る』
最長政権を記録し、銃弾に倒れた安倍晋三元首相の母であり、総理を目前に病で亡くなった安倍晋太郎・元自民党幹事長の妻、そして岸信介元首相の娘でもあった著者。この政治家3代を最も近いところから見つめていた「政界のゴッドマザー」ならではの話が続く。
本書は第2次安倍晋三政権の半ばになる2016年の著者へのインタビューと、安倍晋太郎氏が死亡した翌年(1992年)に刊行された本をまとめたものだ。晋三元首相が亡くなって半年が経つが、本書の内容は政界の実力者を相次いで輩出した一族を理解するのに古さを感じさせない。
晋三少年は、父親の晋太郎の姿を見ていたこともあり、小さい頃から自然と政治に興味を持つようになった。9歳の時、父は選挙に落選するが、晋三は小学校の遠足のバスの中でマイクを渡されると、「安倍晋太郎をよろしくお願いします」と言ったという。同じころ、「ぼく、(父の選挙区がある)山口の学校に行こうかな。お友達ができるから、選挙の時にいいんでしょう」と言って母親の著者を驚かせた。
著者の夫、晋太郎は、毎日新聞の政治部記者だった。父の岸信介は、「これからは新聞記者の時代だ。うちの洋子は新聞記者の嫁にやる」と周囲に宣言し、見合い相手を探していた。晋太郎は当時、まだ新米で、佐藤栄作・自由党幹事長(後に首相)の番記者をしたが、話が取れずに困っていた。先輩記者から、「佐藤は兄の岸に相談しているらしい」とアドバイスされ、岸と会うようになる。岸と先輩記者が組んで、段取りを整えたのだった。
岸は晋太郎を気に入り、同じ山口県出身で、晋太郎の父が戦前に代議士をしていたこともあり、愛娘と結婚させる。終戦直後にA級戦犯容疑で逮捕されたが、不起訴となって釈放された岸は、当時(1951年)、まだ公職追放となっていた。晋太郎は「戦犯の娘と結婚するのか」と指を差されることもあった。
晋太郎は生後85日で両親が離婚したため、生母の顔を知らずに育った。子どもの頃から母に会いたくて、東京の新宿辺りにいると聞き出すと、上京した際、両親の結婚写真を頼りに探し回った。だが、母は再婚した後、31歳の若さで結核のため死亡していた。晋太郎は大学在学中に父も亡くし、天涯孤独となった(後に異父弟と会う)が、洋子との結婚で家族ができるのが、うれしかった。
竹下登、宮沢喜一(ともに後に首相)と争った1987年の自民党後継総裁選びで、晋太郎は有力と言われながら、総理の座を逃す。その1年半後に「次の総理は自分だ」と自負していた晋太郎が体調を崩した。二男の晋三は6年前から、神戸製鋼所を辞めて父の秘書官となっていた。手術の後、洋子と晋三は主治医から、晋太郎はガンであり、余命2、3年ぐらいだと告げられた。病名は隠された。晋太郎は後継者の晋三に、「死に物ぐるいでやれ、そうすれば道は開ける」と激励したことがあったという。