彼と出会っていなければ…… 「永遠と横道世之介」の吉田修一さん
<作品の概要> 長崎から上京した横道世之介が、さまざまな人と出会い、成長していく物語。第1作では大学生活、第2作「続 横道世之介」(「おかえり横道世之介」として文庫化)では、フリーターとしての日々が描かれた。第3作である「永遠と――」には、38歳になり、フリーのカメラマンとして生活している世之介が登場。東京郊外の下宿屋「ドーミー吉祥寺の南」での1年がつづられる。
◇一番大切なのはリラックスしていること
――連載開始前のインタビュー(https://mainichi.jp/articles/20211106/k00/00m/040/196000c)で、世之介のことを「何年かに1度、ふと思い出して、会いたくなる」友人と表現されていました。久しぶりにその友人と1年を過ごしていかがでしたか。
◆楽しかったですね。書きながら、僕自身が世之介からいろいろと教わるんです。単行本の帯に「この世で一番大切なのはリラックスしていることですよ」という世之介の言葉を引用しましたが、事前にそういうセリフを書こうと思っているわけではなく、物語に引っ張られて自然に言葉が出てくるんです。世之介シリーズを書くと、毎回、自分の性格が変わるような気がするんですよ。わりと良い方向に(笑い)。放っておくと段々、悪い方に偏っていくんですけど、世之介でリセットされるというか。
――吉田さんにとっても、世之介を書くことは大切な作業なんですね。
◆そうなんですよ。でも、これで終わっちゃったので、今後が心配です(笑い)。
――第1作では18、19歳、第2作では24、25歳、そして本作では38歳から39歳にかけての1年が描かれます。
◆横道世之介シリーズは青春小説だと思っているので、38、39の男を主人公にした青春をいかに書くかというのが一つのテーマでした。40手前の男なので、ちょっと疲れているかもしれない、朝起きた時には体が重いだろうな、というようなことを考えながら書き始めました。でも、にぎやかなドーミーの住人たちにも引っ張られ、執筆中には年齢はほとんど意識しませんでした。
◇いいイライラ感がある
――連載期間が新型コロナウイルス禍と重なっていたこともあり、にぎやかなドーミーの場面は読んでいて心地よかったです。
◆コロナ禍で人に会えなくなった時、誰に会いたいだろうと考えたら、世之介の顔が思い浮かんだんです。疲れがたまっていたりすると、世之介ってちょうどいいんですよ。いいイライラ感があるというか。
――いいイライラ(笑い)。
◆分かりますか? 決して善人ではないし、空気を読まないし、そばにいたらちょっとうざったい。イライラするんですけど、嫌な感情ではないんです。
――たしかに、ほどよいイライラが気持ちをほぐしてくれることってある気がします。
◆そうなんですよ。リラックスって、無の境地ではなくて、多少の心の動きがある状態だと思うんです。コロナ禍の外出自粛などで時間ができ、せっかくだからちょっと休もうとしても、リラックスの仕方が分からない。そんな状況でこの作品を書いて、世之介の姿に「これでいいんだよな」と励まされた部分もあります。
――本作で横道世之介の物語は完結を迎えました。
◆作中にも書きましたが、「なんでもない一日」みたいな人だったという気がします。いなくなって初めて、自分の人生にどれほどの潤いを与えていたか分かる。世之介って、1作目では誰かの「人生の脇役」っぽい感じがあったと思うんです。3作を書き終えた今、周りの人たちが知らなかっただけで、彼自身も太い一本の人生を歩んだ人だったんだな、という印象に変わりました。いろいろな人と、いい出会い方をして、ひょろっとした木がどんどん太くなっていったな、と。
――前2作では、物語の合間に世之介が亡くなった後の未来のエピソードがはさまれました。本作では、世之介を含む登場人物それぞれの誕生前後が描かれます。
◆完結編ということで、世之介の始まりから終わりまでを書きたいという思いがありました。彼の生まれるところを書くなら他の人も、というところからこのような構成になりました。
――過去編があることで、日本の戦後史が物語の背景となり、本シリーズ全体の奥行きが増した印象を受けました。
◆世之介って僕と同い年(1968年生まれ)なんですよ。親の世代が戦争を経験していて、青春時代にバブル景気があった。この国の激動の時代の終わりに生まれたという感覚があります。
――戦後間もない頃と、高度経済成長後の今をつなぐ世代なんですね。
◆そうなんです。世之介自身は戦争に全く影響されていないようなキャラクターなんですけど、その1世代、2世代前には戦争孤児など、さまざまな経験をしている人々がいます。そうした前世代の経験の上に、世之介も僕も立っているんです。
◇「永遠」が最後に別の意味を持つ
――執筆中に当初の構想と変化した部分はありますか。
◆世之介の周りの人々のことはほとんど何も考えずに書き始めたので、彼らの成長は僕自身にとっても感慨深かったです。世之介シリーズは、自分が作っている感覚がほとんどないんですよ。ドーミーのシーンなら、自分もその片隅にいて目の前で起きたことを書く感覚ですし、世之介が動き回っている時は、そこについて回っているという感じです。
そうそう、当初は「フォーエバー横道世之介」という感じの仮タイトルを付けていたんです。でも、ちょっとなあ、と悩んでいた時に「永遠と横道世之介」というタイトルを思いつき、ぴたっとはまりました。その時点では「永遠」はフォーエバーという意味だけだったんですけど、物語の最後に別の意味も持ちますよね。終盤の展開は、自分にとってもサプライズでした。
――吉田さんは、新聞連載で素晴らしい作品をたくさん書かれていますね。人間の心の闇に迫る「悪人」や「怒り」、歌舞伎俳優の一代記「国宝」などに比べて、世之介シリーズの執筆中の気分は違うものですか。
◆全然違いますね。楽しい(笑い)。もちろん、それぞれの作品に別の楽しさはあるんですけど。世之介の執筆は、リラックスして自分と向き合える時間という気がします。今回は完結編だったので、とにかく書き終えるのが名残惜しくて。そういう気持ちになったのは初めてです。
――連載終了後のエッセー(https://mainichi.jp/articles/20230209/dde/014/040/004000c)でも「寂しくてたまらない」と書かれていました。
◇世之介に出会えたことが一番の幸せ
◆時間とともに寂しさは少しずつ薄れてきました。二十数年作家としてやってきて、大げさではなく、世之介に出会えたことが一番の幸せかもしれないと感じています。もちろん、その時その時で必死に書いて、好きな作品は他にもいっぱいあります。でも、横道世之介だけはちょっと違うんですよね。本当に出会えて良かったし、この人と出会っていなかったら、こういう作家にはなっていなかったと思うくらい大きな影響を受けました。
――世之介と出会うことで作中の登場人物たちも変わりますが、吉田さん自身も変化したのですね。世之介と出会っていなかったら……。
◆どうなっていたんでしょうね。もっと、とげとげしい人間になっていたんじゃないかな。南郷(売れっ子になって増長した世之介の先輩カメラマン)のようになっていたかも。
――世之介の亡き恋人について、お寺の和尚が「同じように見えても、やっぱり少し違う。二千花ちゃんがそこにいた世界と、最初からいなかった世界ではやっぱり何かが違う。それがね、一人の人間が生きたってことですよ」と語る場面があります。前2作以上に、誰かと出会えたことの喜びが作品に満ちていると感じました。
◆僕自身も、いろいろな人から、いろいろな影響を受けて生きていると日々感じますし、誰かと出会えた喜びって、ずっと続いていくと思うんです。両親や近しい人の死も経験しましたが、亡くなったというより、会えないだけという感覚の方が強いんです。生きていても、なかなか会えない人、もう会うことはない人っていますよね。でも、一緒に過ごした時間はずっと残っているし、出会えたことの幸せは変わらないのではないでしょうか。
――連載中に作家デビューから25年を迎えました。節目となる作品を書き終えた今、今後の創作活動について何か考えていることはありますか。
◆今後のことは分かりませんが、人生の悲しみより喜びを書いていきたいという気持ちは強くなっています。世之介の影響もあるかもしれませんね。単純に「いい話」を書きたいわけではなく、重い話であっても、そこにある人生の喜びをしっかり見つめたい。まずは一人でも多くの人がこの本を読んで、リラックスしてくれればうれしいですね。
◇よしだ・しゅういち
1968年、長崎県生まれ。97年に「最後の息子」で文学界新人賞を受賞し、デビュー。2007年、「悪人」で毎日出版文化賞と大佛次郎賞受賞。最近の主な作品に「国宝」「湖の女たち」「ミス・サンシャイン」など。