震災のボランティアで訪れた宮城県山元町での、少し後ろめたい思い出。作家・演出家 山田由梨の記憶
知らない街の景色を思い浮かべてみたり、そこに生きる人々の温度を感じたりすることは、これからの生き方を考える、ひとつのヒントになるのかもしれません。
この連載「あの人と街の記憶」では、さまざまな表現者が、思い入れのある街と、そこで出会った人との思い出やエピソードを私的に綴ります。7回目は、作家・演出家の山田由梨さん。2011年にボランティアで訪れた、宮城県山元町での記憶。
「思い入れのある街と人」についての文章を書こうと思った時、宮城県山元町の町民会館で、知らないおばちゃんやおじちゃんたちにお菓子をたくさんもらったことを思い出した。それは2011年4月のことだった。わたしは19歳で、ボランティアをするために、聞いたこともなかったその町に滞在していた。町民会館は避難所になっていたのだ。
山元町での思い出は、たしかに震災のボランティアに行った時のことなのだけど、何かいいことをした記憶としてわたしに残っているわけではない。
ただ何もできなくて、いろんな方々にお世話になって、優しくしてもらって、いろんな物をいただいて帰ってきた記憶としてわたしのなかに残っている。どちらかというとちょっと情けない記憶。後ろめたい記憶。
19歳だったわたしが、一人で、リュックを背負って、ジャージと長靴だけ身につけて、深夜バスに乗って、知らない街にボランティアをしに行ったというだけで、どちらかというと迷惑な行為だったよなと、いまでは思う。でも、そこで出会った人たちはとても優しくて、無謀で何もできないわたしを受け入れてくれた。
1週間ほどの滞在のあいだ、ボランティアセンターでその日に募集されているボランティアを見つけて、その現場に行くということをしていた。おもにどなたかの家の瓦礫の撤去や掃除をさせてもらいに行っていたと思う。やってもやっても終わらない途方もない作業だったし、1日に自分が運べる瓦礫なんて本当にわずかで、役に立っていたのかわからない。たぶんそんなに役に立ってない。