ジェレミー・デシルヴァ著『直立二足歩行の人類史』を読む:ゴキブリ二足走行の謎と教訓
キリストトカゲにせよヴェロキラプトルにせよ、二足歩行の利点とは要はスピードだと思われる。ゴキブリでさえ、非常時には二本足で立ち上がって全速力で走る。
「ちょっと待て!」とわたしは思いました。ゴキブリは短距離ならば飛びもするし、普通でさえ、かなりのスピードでササササと走りまわりますよね。そこからさらに速度を上げるために、よりによって二本足で立ち上がって走ると!? いやいや、それはありえないでしょう。
第一に、ゴキブリのあの体を後脚二本で支えられるとは思えません。第二に、立ち上がって走り出そうものなら、あの薄っぺらい体にそなわる流体力学的メリット[風圧が小さくてすむ]は失われ、ゴキブリは前方からの強い風圧を受けて後ろにひっくり返ってしまうでしょう。ゴキブリの二足走行なんて、流体力学的にもありえない!!
そう思ったわたしは、もしかして翻訳者の赤根洋子氏が、何かうっかり誤読なさったのではないかと思い(赤根さん、ごめんなさい!)、ウェブ上で原文に当たってみたのです。そしたらば、原文はたしかに赤根さんの訳文どおりになっていました。これは誤訳ではない。
では、ひょっとすると著者のジェレミー・デシルヴァが筆を滑らせて、余計な軽口を叩いてしまったのか....? デシルヴァは親しみやすく楽しい文章を書く人みたいだけど、ゴキブリに関してこんなありえないことを書くなんて、いったいこの著者、信用していいのかな?
こうして著者に不信感を抱いてしまったわたしは、こんな気持ちで読み続けてもしかたがないと本を置いたのではなく(笑)、ゴキブリの二足走行について調べはじめました。そしたらば、驚くべきことが次々と明らかになったのです。
動物がどのように走るのかという問題をめぐる論争ということでは、馬の走り方に関するものが有名でしょう。馬が走るとき、四本の脚が同時に地面を離れる瞬間はあるのかないのかという問題が、懸賞金までかかる論争に発展したのです。この問題が解決したのは、高速写真撮影というテクノロジーが発展したおかげでした(解決は1877年)。それ以降、四肢動物(馬や人間はもちろん、鳥類もこれに含まれるわりと広いくくりです)の歩様(歩き方、走り方)については、実験面でも理論の面でも解明が進みました。
そこで人間の場合を例として、基本的なところをざっくり押さえておくと、人間の「歩き方」については「逆振子モデル」で説明されるのが普通のようです(本書でもそうなっています)。軸におもりのついた振子を、上下ひっくり返したようなものをイメージしてください。踏み出した足が軸、われわれの身体が(上下逆になった)振り子のおもりです。われわれが脚を交互に踏み出すにつれて、おもりが円弧を描き(上下に動きながら)、振子と同様、重力の位置エネルギーを利用しつつ推進力を生み出すというわけです。
一方、人間の「走り方」については、「ポゴスティク・モデル」で説明されることが多いようです。ポゴスティクとは(日本では「ホッピング」という名前で知られているかも?)、一本の棒にハンドルとバネが取り付けられた遊具で、ハンドルを手で持ち、バネでぴょんぴょん跳ねて移動します。重力とバネの位置エネルギーを利用して、推進力を得るわけです。人間の場合には、筋肉や腱がバネの役目を果たし、重力も利用しつつ推進することになります。
さて、人間や馬といった大型の四肢動物であれば、脚もしっかりと大きいし、動きもゆったりしているため調べやすいのですが、節足動物となると、話はぐっとややこしくなります。ゴキブリやムカデは、脚が小さいだけでなく本数も多いし、動きもやたら細かいせいで、観察するのがとても難しいのです。そんなこんなで、節足動物の歩様については、長きにわたってほとんど研究されないまま、「きっとこんな仕組みになっているんだろうな...」と誰もが思い込んでいたのが、ホイール・モデルでした。
ホイール・モデルは、車輪を回転させるように、たくさんの足がなめらかに動くことで、体を上下させることなく(逆振子やポゴスティックでは体が上下する)移動するというものです。「昆虫の安定性・機動性に倣え!」とばかり、根拠のないホイール・モデルにもとづいてロボットを作ってみたところ、昆虫の機動力には及びもつかないデキの悪いロボットができてしまった、という時代もあったようです。
そこで基本に立ち返り、そもそもの節足動物の歩様をきちんと調べてみようじゃないかということになり、1980年代末に、カリフォルニア大学バークレー校を中心に、高感度タッチセンサー(昆虫の脚が着地しているかどうかを一本ずつ記録できるような装置)を開発するなどして、高度な実験・観察が行われるようになりました。(小さな昆虫の歩様は画像として記録するのも一苦労で、脚を一本ずつ識別しやすいように、片側の脚だけ白くペイントするといった、細かい努力の積み重ねがあったようです。実験というのは、ほんとに見えない工夫の積み重ねですね....)
その取り組みの中で、節足動物について驚くべき事実が次々と明らかになったのですが、ここはゴキブリに的を絞りましょう。
ゴキブリの運動は、ホイール・モデルではまったく説明できませんでした。実際には、ゴキブリの前脚はむしろブレーキのような働きをしていた。中脚は、ポゴスティック・モデルが当てはまりました。それに対して後脚は、もっぱら推進力を担っていたのです。たとえば、ゴキブリが斜面や段差を軽々と移動するときには、たしかに前脚も地面に触れているものの、前脚で体を引っ張り上げたりはしません。ゴキブリはもっぱら後脚の強力なパワーで移動しているのです。つまり、わたしの第一の仮説「ゴキブリの後脚には、ゴキブリの体を支えることはできない」というのはまったくの誤りだったのです。
さらに驚くべきは、ゴキブリがトップスピードで移動するときには、体を23度の角度に浮かせていることがわかったのです! コンコルド(じゃなくてもいいけど)が離陸するときの姿をイメージしてください。体を傾ければ、前脚と中脚は宙に浮く。前脚と中脚がちまちまと動いたのではスピードが出ないため、ゴキブリは前方の四脚を宙に浮かせて、後脚の推進力を最大限に解き放ち、大きなストライドで疾走していたのです!!
ここで重要なのは、流体力学的な空気の効果です。わたしは「ゴキブリが立ち上がったりすれば、前方からの風圧で、すぐに後ろにひっくりかえってしまうだろう」と考えましたが、実際には、前面から吹き付ける風がトップスピードで疾走するゴキブリの傾斜した体を支えていたのです!! これは、風洞実験により確認された事実です。
わたしが置いたふたつの仮定、「ゴキブリの後脚にそれほどの力はない」と、「二脚走行は流体力学的にありえない」は、ふたつともまったくの間違いでした。ゴキブリは後脚で体を支え、流体力学を味方につけて疾走することができるのです。
では、二足走行で疾走するゴキブリのトップスピードはどれぐらいなのでしょうか? なんと、秒速150センチメートルだそうです。一説によれば、これは地球上のあらゆる昆虫のなかでも最速だそうです。一秒間に体長の五十倍ほどの距離を移動するわけですから、単純に人間に換算すると、秒速85メートルぐらいでしょうか。ウサイン・ボルトでも平均秒速10メートルかそこらですから、ゴキブリのすごさがわかろうというものです。ゴキブリ、恐るべし....
ジェレミー・デシルヴァは、古人類学のなかでも、とくに脚の構造と歩様の専門家なので、おそらくはバークレーでの節足動物の研究のことも知っていたのでしょう。そして、衝撃的なゴキブリの歩様にさらりと言及したのでしょう。デシルヴァは、いい加減なことを口走る著者ではなかったようです。
さて、こうして著者に対する信頼を取り戻したわたしは、それからは楽しく本書を読み進めることができました。
人類の歴史に対するアプローチにはさまざまなものがあります。たとえばスヴァンテ・ペーボ『ネアンデルタール人は私たちと交配した』やデイヴィッド・ライク『交雑する人類』のように、著者自身が最先端のテクノロジーを駆使して、いやそれどころかテクノロジーの最前線をさらに推し進めて、新たな眺望を切り開いてみせてくれるタイプの本もあります。
それに対して、デシルヴァの本書(や、エマニュエル・プイトバ『鳥頭なんて誰が言った? 動物の「知能」に関する大いなる誤解』など)は、自分の研究だけでなく、フィールドでの調査や、実験や理論的研究によってこれまでに積み上げられてきたまざまな成果を組み合わせて新たな知見を示すとともに、われわれの「誤解」に光を当てる本と言ってよさそうです。
デシルヴァは、誰もが当たり前のように受け入れていたことについて、「今にして思えば、それって根拠がなかったよね」と語りかけてきます。本書の中で、とくにハッとさせられたのは、誰でもどこかで見たことがあるであろう「人類進化の模式図」のことでした。人類は、チンパンジーのような腰をかがめた動物から徐々に進化して、ついにはすっくと立ち上がって直立二足歩行するようになったという、あの図です。本書によれば、どうやらあれには根拠がない。人類と他の類人猿の共通祖先は、すでに樹上で直立していた可能性があるというのです。もしもそうだとすると、人類は、直立二足歩行を進化させたのではなく、チンパンジーやゴリラなどのほうが、ナックルウォーク(握りこぶしを地面につける歩き方)を進化させてきたのかも? 人類は、直立二足歩行を進化させた唯一の種なのではなく、直立二足歩行する地球最後のサルなのかも?
どうしても暗黙の前提を置いてしまうことや、思い込みや偏見が紛れ込んでしまうことは、われわれ人間が限りある存在である以上、どこまで行っても避けることはできないのでしょう。考え抜いて「論理的にこれしかない!」と思っても、実際にはさまざまな見落としもあるでしょうし、その時点では知り得なかった可能性だっていろいろとあるに違いありません。でも、ゴキブリに関するわたしの仮説は大間違いだったけれど、さらに調べてみることで思いもよらなかった世界が広がりました。科学のパワフルなところは、実験や観測によって、それまで気づくことのできなかった思い込みや偏見の存在を明らかにし、知識を改定していけるところにこそあるのではないでしょうか。デシルヴァも、本文や巻末注のあちこちで慎重に述べているように、新たな発見により現在の理解がひっくり返ることだって十分にありうるのですから。
さて、直立二足歩行に話を戻すと、この歩き方にはもちろんメリットもありますが、デメリットも多いです。たとえば、四本足の動物なら、たとえ足が一本使えなくなっても残る三本で歩くことができますが、二本足の人間は、一本失えば、もう歩くことはできません。脆弱性があまりにも大きいのです。命にかかわるようなデメリットは、ほかにもいろいろとあります。それほどのデメリットを引き受けてまで、われわれが直立二足歩行をしているのはなぜなのか...? この問いへの答えは簡単ではないけれど、しかしそこには、人間を人間にしている大切なものが含まれている、というのが、デシルヴァの根本的な主張なのでしょう。その答えをここで簡単にまとめてしまうと、まるで人間を過剰に美化しているかのように見えてしまうかもしれないので、やめておきます。現時点で何が言えるかについては、ぜひ、本書を手に取って読んでみていただきたいです。
本書を読了して「謝辞」を読むうちに、デシルヴァがこの本を書き上げるまでの道のりが、出来の悪い脚を持ちながらつながり合い、支え合ってきた人類の姿に重なるようで、胸に迫るものがありました。更科功氏による解説や赤根洋子氏による訳者あとがきは、本文を読み始める前に読んでもかまわないと思います。でも、謝辞は、ぜひ、本文をすべて読み終えてから読んでいただきたいのです(謝辞を最初に読むという人には会ったことがありませんが(笑))。謝辞を読んでじんわり胸が熱くなるなんて、わたしとしても初めての経験かもしれません。ジェレミー・デシルヴァ、なかなかの書き手です。