人々はみずから進んで統治に協力する…権力が「上から」ではなく「下から作り出される」メカニズムを解剖する
「権力」について徹底して考えてきたことで知られるフーコーだが、彼の思想が独特なのは、権力を「下から作り出されるもの」として捉えたところにある。
権力をなにごとかを禁ずるものとして捉え、その禁止の命令に逆らうことによって、権力による束縛を受けない状況を作り出そう、そうすることで私たちは自由になれる──こうした考え方は当時も根強くあった。
権力とは、なんらかのことを命じる一種の「法」(政府が定める法律の意味に限らず、宗教上の掟、精神分析が考える無意識の法といったものまで広げて考えてよい)であるのだから、その法の命令への「侵犯」が権力への抵抗である、というわけだ。
理論と実践にまたがるこうした主張を、フーコーは厳しく問いただした。
ミクロな闘いに転じたところで、権力を禁止や抑圧、そしてそこからの解放という観点から捉えているかぎり、新たな方向性は出てこない。なぜなら、権力は何かをするなと命じるのではなく、むしろ何かを行うように仕向けているからだ。
「権力」とは、禁じるものではなく生み出すものであり、これ以上話すな、黙っておけと命じるのではなく、もっと話してほしいと促す。つまり、権力の主要なはたらきとは、何かを禁止することではなく、生産することにこそある。
したがって、権力から自由になることなどありえない。
これがフーコーの権力論の重要なポイントである。
こうした着想の源のひとつが、『狂気の歴史』の時点からフーコーが取り上げてきた「封印令状」という制度である。
フランス革命前の旧体制期に存在し、国王の名前で発出されたこの文書によって、行政は個人の収容や追放とともに、個人に直接的な行動を命じることができた。たとえば、フランス革命の際に民衆が襲撃したことで知られるパリのバスティーユ監獄はその主な収容先だった。
17世紀以降に広く用いられたこの制度は、王権の恣意性や司法を無視する絶対性の象徴として反国王勢力から強く批判され、フランス革命直後の1790年には廃止されるに至った。いわゆる絶対王政下で行使された主権的な権力の典型例として見なされていたのだ。
しかし、フーコーはこの制度を「古めかしい」とする見方を退ける。
そして、ここには近代権力が社会のなかに細い管のように張り巡らされて機能するプロセスが特徴的に表れていると論じた。
封印令状についての考察は、権力は上から行使されるものではなく、下から作り出されるものなのだというフーコーの見解を練り上げるうえで、重要な契機となったのである。