「砂糖」を通じて近代の台湾と日本の関係を紐解く。YCAMで見る、許家維+張碩尹+鄭先喻の伝統と現代を織り交ぜたアプローチ
(シュウ・ジャウェイ)、張碩尹(チャン・ティントン)、鄭先喻(チェン・シェンユゥ)による新作を発表する展覧会「浪のしたにも都のさぶらふぞ」が、
山口情報芸術センター[YCAM]で開催中だ。キュレーターは吉﨑和彦(学芸普及課キュレーター)。
近年、日本統治時代の台湾における砂糖産業を起点に、台湾と日本の歴史的関係や近代化の記憶をたどるプロジェクトを共同で行っているこの3人。2021年には同プロジェクトの第一部として、製糖業で発展した台湾の街・虎尾(フーウェイ)を舞台に制作した映像インスタレーション《等晶播種》(2021)を台湾・台北で発表した。
その作品に続く第二部として、YCAMとのコラボレーションにより、虎尾と同様に現在に至るまで製糖工場が稼働し続ける北九州市の門司を舞台にした新作《浪のしたにも都のさぶらふぞ》(2023)を制作し、本展で初めて公開。2部の作品を通じ、東アジアの近代史の視点からふたつの都市の記憶を紐解いていく。
会場は2部作で構成されており、第1部の《等晶播種》では、砂糖の結晶をイメージした不規則なスクリーン3枚で映像が上映。日本統治時代に建てられた製糖工場をはじめ、近代化の遺産が残る虎尾にまつわる物語を、台湾の伝統的な人形劇「布袋戯(ポテヒ)」による語りや音楽とともに描き出している。
第2部の《浪のしたにも都のさぶらふぞ》では門司にフォーカスし、日本の伝統的な人形劇である人形浄瑠璃やCGアニメーションなどにより、日本の近代化とともに国際貿易港として発展した門司港および工業都市として発展した門司の記憶を描写。また、作品の後半はVRデバイスを装着したパフォーマーによるパフォーマンスでクライマックスを迎える。
2部の作品は、「砂糖」を通じて台湾・虎尾と日本・門司を結びつけ、合わせ鏡のようにふたつの都市の歴史を映し出しているように見えるが、許家維は、「ふたつの作品には多くの要素があり、網の目のように相互に関連している。必ずしも明確な順序でその物語を読み取る必要がない」と話す。
例えば、虎尾がある台湾雲林県は、19世紀中頃に中国から台湾へ伝わった布袋戯のうち伝統流派の諸劇団が発展した場所。《等晶播種》で演じられ、中心的な役割を果たした『鞍馬天狗』の布袋戯は、日本統治時代、皇民化教育の一環として日本の物語を演じることが義務づけられて流用した演目のひとつだ。
また、鞍馬天狗は牛若丸(のちの源義経)に剣術を教えたという伝説で知られる人物であり、源氏軍が平家を滅ぼした治承・寿永の乱の最後の戦いは、門司に面した関門海峡の壇ノ浦で行われた。第2部のタイトルも「壇ノ浦の戦い」の様子を綴った『平家物語』の一節を引用したものだ。
サトウキビ、コーヒー、カカオに代表される商品作物は、西洋の歴史上、植民地主義や先住民や移民の安い労働力に対する搾取・抑圧と結び付けられることが多い。製糖工場が設立される以前は、台湾の経済は農業が中心であり、製糖工場の設立は、台湾経済が農業から工業へと移行する転機となった。その後、鉄道などの交通網が整備され、現在に至って半導体など台湾の柱となる産業が徐々に生まれてきた。
アジア太平洋戦争末期、日本は燃料不足の問題を克服するため、製糖工場に飛行機や車両の燃料となり得る、糖蜜を主原料とする高純度のアルコールの開発と生産を命じた。戦争の激化に伴い、こうしたアルコール工場などの軍事施設がある虎尾と、工場が集積し地勢的に重要な門司は、米軍による爆撃により大きな被害を受けてしまう。発酵・蒸留を経て戦闘機を駆動するエネルギーになり得る砂糖は、暴力的な様相も呈している。
第1部と比較して第2部《浪のしたにも都のさぶらふぞ》の最大の特徴は、CGアニメーションやライブパフォーマンスが加わったことだろう。映像に登場するCGアニメーションによるアバターは、文楽の人形遣いが操る人形にモーションキャプチャーを取り付けて取得したデータにより、その動きを再現。後半のパフォーマーが登場した後、映像中のアバターの動きは身体にセンサーを取り付けたパフォーマーの動きに徐々にシンクロしていく。パフォーマンスの最後には、パフォーマーが虎尾の砂糖による燃料(YCAM内で精製したエタノールを使用。YCAMはエタノールの精製に法律上必要な酒類の試験製造免許も取得したという)を使ったアルコールランプを点灯させ、その熱で会場にある模型飛行機を回転させ、その影をスクリーンに投影する。
人形遣いと人形の動きは、複雑に絡み合う「操る─操られる」「支配する─支配される」関係を表す。また、パフォーマーが装着するVRデバイスは通常、観客にデジタル世界へのアクセスを提供するツールとして利用されることが多いが、本作では、VRデバイスを装着したパフォーマーが観察される対象となり、「見る─見られる」関係も巧みに反映している。
こうした権力関係は、YCAMでのもうひとつの展覧会でも見ることができる。6月25日まで開催されている「The Flavour of Power
」展は、インドネシアを拠点に活動する8人組のアーティスト集団、バクダパン・フード・スタディ・グループが太平洋戦争中の日本とインドネシアの「食」における関わりについてリサーチし、その成果を映像インスタレーションやカードゲーム、資料展示として発表するもの。インドネシアを占領統治した日本による食糧政策がいかにインドネシアの食糧システムに影響を与え続けるのか、またそこにある政治的な権力関係を浮き彫りにする。
伝統と現代の表現を織り交ぜ、現実世界と仮想世界を行き来しながらふたつの都市の記憶を紐解く許家維と張碩尹と鄭先喻のアプローチ。小さな砂糖のかけらは、東アジアの近代史を考えるための新しい視点を与えてくれた。