竜王戦福知山対局で存在感を放った立会人・小林健二九段…果たせなかった夢とこれからの夢
対局前日の検分の時には、照明やお手洗いの場所などについて矢継ぎ早に質問、その場を仕切った。対局開始の時や2日目の朝は中央にでんと座り、「時間になりましたので……」とよどみなく対局開始や再開を宣言した。よく見ると、着用しているマスクは将棋の駒をあしらったもの。それも毎日、柄を変える凝りようだった。「1日目のマスクは天童の将棋資料館で買ったもの、2日目のはファンからいただいたものです」
聞けば竜王戦の立会人を務めたのは、2019年の津和野対局以来だという。広瀬竜王に豊島将之名人(いずれも当時)が挑戦した第32期七番勝負の第5局で、豊島名人が竜王を奪取、史上4人目の竜王・名人となった記念すべき一局だった。「立会人の仕事のよいところは、真剣勝負を間近の特等席で見ることができることでしょうか。お金を払ってでも見たいという人がいるのに、役得ですよね」
タイトル戦に対局者として登場するのは、多くの棋士が描く夢だが、小林九段はかつて、その夢に限りなく近づいたことがあった。今から45年前の1977年――。
当時二十歳の四段だった小林九段は快進撃を続けていた。王位戦リーグを5戦全勝で突っ走り、挑戦者決定戦に進出。四段でタイトル戦挑戦という快挙まであと1勝とした。大一番を翌日に控え、師匠の板谷進八段(当時)は名古屋駅前のしゃぶしゃぶ屋でこう言った。
「明日負けたら王位戦、第3局は浜名湖だから記録やらせるぞ」
挑戦者決定戦では米長邦雄八段(当時)と対戦した。途中まで優勢だったが、痛恨の逆転負け。小林九段は、師匠の言いつけ通り、中原誠王位(当時)と米長八段との王位戦七番勝負第3局で記録係を務めた。
「昼食休憩の時、両対局者がいなくなったのを見計らって、そっと米長さんの席に座ってみたんですよ。座りたかったなと。今みたいに対局室にモニターテレビは入っていないので誰も見ていないと思ったのですが、しっかりカメラマンに見られていました」
記録係と対局者までの距離は1メートルもない。だが、その距離は果てしなく遠かった。