【対談】福武英明×内藤礼 幸せの定義を拡張する「人×自然×アート」の可能性
福武總一郎の言葉「経済は文化の僕である」を体現した小さな島のプロジェクト。
四国・瀬戸内海の島々を舞台とするベネッセアートサイト直島。世界中から多くの人が訪れ「現代アートの聖地」と呼ばれる。
豊かな海と山々に囲まれた世界随一の自然を抱くこの地域だが、昭和初期には製錬所から排出される亜硫酸ガスの影響で周辺ははげ山が広がっていた。また、豊島は1975年から90年までの間、日本最大級の産業廃棄物不法投棄事件の場所として知られていた。
1990年代、ベネッセホールディングス会長で公益財団法人 福武財団理事長である福武總一郎が、高度成長と過度の都市化の犠牲となった島々の惨状に憤りを感じ、現代美術を武器に抵抗する、として始まったのが、このアートプロジェクトだ。
経済の繁栄だけを目的化すると、かえって人は不幸になる。文化、すなわち「人々が幸せになれる、いいコミュニティづくり」のために経済はある──「経済は文化の僕である」という總一郎の言葉に共感し、幾度となくこの地を訪れる宇沢国際学館代表の占部まりをモデレーターに、2023年、福武財団の新理事長に就任する福武英明、そして豊島美術館のアートを手がけた内藤礼に、100年後の未来に向けた人と自然、アートの可能性を語ってもらう。
占部まり(以下、占部):ベネッセアートサイト直島は、福武總一郎さんの言葉、「経済は文化の僕である」を体現する壮大なプロジェクトですね。内藤礼さんの作品、きんざ「このことを」も公開されている、直島の「家プロジェクト」はどのように始まったのですか?
福武英明(以下、福武):1997年、直島・本村地区を中心に古民家を改修し、家空間そのものをアート作品化したプロジェクトです。いまでこそよく見られる手法ですが、その当時は前例のない挑戦でした。その地域の生活に入り込み、さらにそこでアート活動をするのはかなり覚悟がいる試みです。
もともとは誰かの土地で、住民のなかにコンテクストがすでに存在する場所に、何か新しい価値を加えていく、ということですから。しかし、いまの文明の「在るものを壊して無いものを創る」のアンチテーゼとして、「在るものを活かして無いものを創る」という福武總一郎の考えを具現化する試みでした。
内藤 礼(以下、内藤):「家プロジェクト」は私にとっても前例のない挑戦でした。民家と向き合うのはもちろん、作品が残り続ける、いわゆるパーマネント作品に取り組んだのも初めてです。福武總一郎さんからお話をいただいたのが98年のこと。それから3年かけて完成させたのですが、当時その空家に入ったときの印象が、いまだに忘れられません。
前の住民の方の生活の気配がまだ残ったままの状態から、部屋の壁と天井と床を取り外して、屋根と柱と外壁のみの「家」として最小限のかたちに戻してもらうと「土」がむき出しになって現われました。当たり前の話ですけれど、「家」は地面の上に立っているんだ、と気づきました。
普段は意識しないその地面の上に家は建っていて、その限られた空間の中で何代も続く人の営みが行われている。私が会ったことのない、その誰かのあらゆる喜びや苦しみを、生の外側から死者のまなざしで生者を眺めているような感覚があった。慈愛が生まれたのです。
土壁が一部落ちていて、壁から外を通る車の音が聞こえ、溜まった雨水がぽちゃぽちゃっとはねて輝いていた。そこを通る人の足元が見えたときもそうでした。
自分がいまいるこの場所は、直島の何番地といったような表層的なものだけでない、この土の上、「ここ」を超えた永遠と直結した「いま」、という感じがした。すべてが連なっているけれども、私がいるのはいま、ここ。そういう体験がこの作品を方向付けていきました。