意識の壁抜け自分を発見 村上春樹さん、幻の小説が原型
▽転換点
新作は3部構成。第1部では、本当の自分は高い壁に囲まれた街にいると話す少女に思いを寄せていた「ぼく」の10代の思い出と、少女が消え喪失感を抱えたまま中年となった「私」が少女の話していた不思議な街に入り込む物語が並行する。
基になったのは、1980年に文芸誌に発表した中編「街と、その不確かな壁」。「自分の中のアドレッセンス(思春期)みたいなものを描きたかった」と語るが、当時は「書き方の訓練ができていなかった」。デビュー3作目にして自らの不完全さが露呈し、専業作家になろうと決める転換点になったと振り返る。
過去にも書き直しに挑み、街での「僕」の物語と、東京で「私」が繰り広げる冒険物語が同時に進む「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(85年)を著していた。「若い時はポップでアクションのあるものを描きたかったが、年齢を重ねもう少し腰を落ち着けて人の内面を描きたい気持ちが強くなった」
▽別の世界
「ぼく」に街の存在を告げた少女は「今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。(略)ただの移ろう影のようなもの」と口にする。その感覚は村上さんの経験にも結び付く。「デビューまで小説家になろうと思ったことがなかったから、今の状況がすごく不思議。今ここにある世界と別の世界がつながっている気がしてしょうがない」
街に入る際、「私」は影と引きはがされてしまう。自らの意思を持つ影と「私」の関係、それぞれの選択が、かつての中編と物語を分かつ。「影と本体を等価に置くというのが、新しい試みだった。どっちがどっちか分からなくなる。それは、人の意識と無意識がどっちか分からなくなるのと同じで、すごく怖いこと」
異世界へ赴き戻ってくる物語構造は村上作品の特徴だ。「意識と無意識の間の壁を抜け、より深いところで自分を発見することが小説の大事な作業。だから、僕にとって壁は重要」。タイトルには「自分ともう一つの世界を隔てる壁は本当に堅固なものなのかという疑問」が込められている。