WORLD REPORT「ロンドン」:想像力とイニシエーション。危機を乗り越え再生し続ける国家と社会
ハイドパークとシティの建物で
毎年この時期にハイドパークに出現するサーペンタイン・パビリオンは、すっかり夏の風物詩となっている。今年は、複数の美術機関の連携による2年にわたるプロジェクト「土に関する問い」を展開した、シアスター・ゲイツの《黒い礼拝堂》。これまで建築家が手がけてきた流れるような空間とは異なり、公園の緑の中に円柱形の真っ黒で巨大なオブジェのような建物がたたずむ。これは、英国ストーク・オン・トレントで18世紀中頃から使用されていたボトルキルン(昇炎式の石炭窯)、ゲイツの出身であるアメリカの植民地時代の蜂の巣窯、カメルーン・マスガム族の土でできた住居、ウガンダ・カスビのブガンダ歴代国王の墓などから発想を得ている。ロンドン・オラトリー聖歌隊による讃美歌、黒人として初めてペンギン・クラシックスから出版されたダブ・ポエトリーの詩人リントン・クウェシ・ジョンソンの朗読、茶の湯などのイベントが行われ、ここを訪れる人々が体験することで思考し、自らと向き合う場として機能する。
ロンドンの街は、それぞれの時代の建築様式が継ぎ接ぎのように共存し、歴史を紐解く手がかりがあらゆるところに存在する。金融街シティの一角にあるブルータリスト建築として著名なバービカンは、第二次世界大戦後の復興計画によって複合型再開発地域に建てられた。その開館40年を記念して、「戦後近代 英国における新しい芸術
1945~1965」展が開かれた。帝国主義的秩序から脱却し新たな価値観が形成された戦後20年は、大きな変革を遂げた時期である。当時、作家たちが意識していた、身体、核の影響、戦災を受けた街並みなど14のテーマを軸に、これまでに取り上げられることのなかった作家たちにも焦点を当て、この時代の表現をとらえ直す試みだ。
本展がオープンする前週の2月24日にロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始したことから、展示室に入るとすぐ目に入るジョン・レイサムの《終止符》はとくに象徴的に感じられた。新しい創造のためには終わりがなくてはいけないとのレイサムの思いが込められており、いまの情勢に奇しくも重なる。子供の頃にドイツを逃れて移住し、自身と同じくレストランなどで働く多くの移民や労働者階級の人々を描いたイヴァ・フランクファーター。インド・パキスタンの分離独立を経験し、英国に移住したフランシス・ニュートン・ソウザ。異性装した将来の夫をルネサンスの花嫁に見立てて描いたシルヴィア・スレイ。こうした表現に、戦後20年のあいだに多様化した身体のとらえ方も見てとれる。戦後から9年間、配給制が続いて復興が遅れた英国では、家庭内での苦境を描いた「キッチンシンク・リアリズム」が生まれた。ジョン・ブラットビーは、その代表的作家として取り上げられてきた。が、妻ジーン・クックの画家としての明らかに優れた才能に嫉妬心を抱いていたブラットビーは、暴力を振るい、その家庭内の緊張はふたりの作品を対比して観ることで、より生々しく感じとることができた。
多様な出自のアーティストの新作展
戦後の英国を代表する彫刻家バーバラ・ヘップワースが生まれ育った英中央部西ヨークシャー州の美術館、ザ・ヘップワース・ウェイクフィールドでは、地元の若手作家エミー・アルライによる「傷の芯」展が行われている。
アルライは、中東の古代神話と自らのルーツであるイラクに伝わるオーラルヒストリーを織り交ぜ、埋蔵文化財や出土品を模倣したオブジェなどを制作。それらの出土前に存在していた環境と、博物館などで展示される場のコントラストに注目する。英国の北から南の海岸線でフィールドワークを行い、風化した岩をイメージしてペイントされた巨大な3つのポリスチレンの風景に、古代の骨壷を思わせる手吹きで制作したガラスの容器を配置。通常発掘調査では、出土した遺物に鋳造や接合の過程で生じる傷や継ぎ目が、もともと存在していた場から強制的に持ち去られたことの手がかりとなることがある。アルライは、それがディアスポラたちの体験と類似することに着目し、人間の身体と地質学的景観における傷が持つ共通の手がかりに着目した。
本展は、国際美術研究所(INIVA)が主催し、多様な背景を持つアーティストのコレクションを英国内の美術館に促す「フューチャー・コレクト」というプログラムの一環として依頼されたもの。地方における若手アーティストの育成や、国内のアート環境における多様性のインバランスなど、このような人材育成のプログラムは、日本の文化政策にも参考になるだろう。
エデル・アサンティは、ガゴシアンなどのギャラリーに勤めていたジェレミー・エプスタインとチャーリー・フェローズが、2010年に共同設立したギャラリー。現代の社会・文化・政治的現実に反応し制作を行う作家を取り扱い、市内140のギャラリーが参加する「ギャラリー・ウィークエンド」を立ち上げるなどの意欲的な活動を行っている。今年初めに移転したスペースでは、アーティスト2名による展覧会を同時開催。
ウィーンを拠点とする丹羽良徳は、同ギャラリーでの5年ぶりの個展「持ち物の独裁」展を開催。オープニングでは、目に入ってくるあらゆる言葉を読み上げながら街中を移動するパフォーマンスをギャラリー周辺で披露した。公共空間である街なかに、いかに商業広告のスローガンなどが入り込んでいるか、言葉にすることで公共空間をふたたび取り戻す試みとなった。これは「パフォーマンス・エクスチェンジ」という2回目のイベントの一環で、参加ギャラリーが所属作家のパフォーマンスを企画し、そのドキュメンテーションもしくは副産物を美術館に収集してもらうことで、今後の発表や制作依頼につなげるという試みであった。
マーチン・デュデックは、過激なサポーターが多いことで有名な地元のサッカーチームのファンクラブに属していた自身の生い立ちから、共産主義政権崩壊後のポーランドにおける若者文化を探り、フーリガニズム、群集心理、スタジアムなど社会的体験の場など、アイデンティティと空間の政治的文脈に焦点をあてる。パフォーマンス《集団》の記録映像では、サッカーのサポーターがよく行う発煙筒を焚いて人々を先導する儀式的行為を再現している。転写された写真や細かく刻んだ医療用テープのモザイクで念入りに構成されたコラージュ作品《通過VII》では、焦げ跡や裂傷によって乱されたイメージが、熱狂や暴力性、そしてそのトラウマを追体験する心理的なプロセスそのものや記憶の解離性を反映しているかのよう。
今回紹介した展示は、いずれも戦争、パンデミック、見えない資本主義の行方、社会の分断など、次々にやってくる危機に直面したとき、閉塞感を打開し、再生し続けるための想像力を与えてくれるものとなっていた。
(『美術手帖』2022年10月号、「WORLD REPORT」より)