木のぬくもり感じて 山梨・河口湖の木工作家がミュージアムオープンへ
7月中旬、富士山麓(さんろく)の河口湖畔に広がる森の小道を歩いて行くと、古民家が姿を現した。同月開館したばかりの「椅子の学び舎」だ。日本やデンマーク、イタリア、米国、インドなど世界中の椅子が木の柱に掛けられ、展示されている。室内の和と椅子の洋が混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出している。吉野さんは展示された椅子に触れながら「ここには世界中の椅子があります」と語り、「人が触れるのに最も優しい素材が木。椅子の工夫や背景にある歴史も感じてほしい。ただの椅子を見る場所ではなく、椅子に座ったり作ったりして、感覚として楽しめる場所にしたい」とつぶやく。
河口湖の北岸に広がる4000坪の「まなびの杜(もり)」は、広葉樹を中心とした以前の森の植生をよみがえらせようと、妻準子さん(54)と3人の子ども、友人たちと手作業で作り上げている。本来自生していた植物や種子が成長するよう「天然更新」を促したところ、ドングリやクリ、クルミなど30種ほどの広葉樹が成長し始めたという。吉野さんと長男裕樹さん(22)、次男快さん(19)が250本の針葉樹を伐採して、長女杏菜さん(16)が木を運び出し、準子さんは切り開いた土地でトウモロコシやジャガイモ、トマトなどを栽培。「縄文時代から集落のそばにクリの木を植えるなど、人は森や木とつながってきた。肌感覚で森とのつながりを当たり前に感じる場所にしたい」
年内には工房「木工スタジオ」が完成予定だ。そこで来年から、ゴールデンウイークや夏休みなどの長期休みを利用して、子どもたちを対象に長期にわたりワークショップを開催する。木を切り倒すところから建物を建てるところまで取り組み、完成後には子どもたちにまた広葉樹を植えてもらうという。「木を植えても恩恵を得るのは2、3世代先になる。目先のことに焦点が行きがちな現代とは対極の価値観です。その時間軸の長さを培った森や日本の文化を、末永く続けていきたい」
東京都豊島区出身。立教大法学部在学中から「自分が100%自信を持てるものを売りたい」との思いを胸に石材店や鉄工所、建設業でアルバイトを重ね、最終的に木工の道を志した。卒業後に家具作家の故・林二郎さんに師事。28歳で独立して東京都稲城市に工房を構えたが、この工房は湿度が高く木材が腐敗することがあったため、より良い製作環境を求めて29歳の時に旧河口湖町(現・富士河口湖町)に移住した。以来同地で30年以上、椅子やテーブル、キャビネットなどの家具の製作を続けてきた。だがこの間、木工作家を取り巻く環境は激変した。
吉野さんは主に、加工がしやすく丈夫な樹齢100年から200年以上の広葉樹を利用してきた。だが戦後復興の際、全国の広葉樹林が、成長が早く経済価値が高い針葉樹の人工林に置き換えられた。また安価な外国産材が大量に流入したため、家具作りに適した大径木の国産広葉樹が2000年ごろに市場から姿を消したという。代わりにロシア産のナラやタモなどの広葉樹が普及している。
周囲の同業者が心ならずも外国産の木材を受け入れる様子を見て、「これで本当にいいのか」と違和感を覚えたという。可能な限り国産広葉樹を使うため、地元の木こりが製紙用などに伐採した木材から、比較的成長して家具作りに使える直径30~50センチのナラや桜などの広葉樹を買い取って家具作りを続けてきた。
「次世代に広葉樹の森を残さなければ」との思いを蓄積させた末、16年秋に河口湖北岸の森を購入した。森と人が共存する場所をつくる――。そんな吉野さんの構想に共感したのが、親交のあった武蔵野美術大の島崎信名誉教授(北欧デザイン)だ。コレクションしていた世界の椅子250脚を吉野さんに預け、「ただ見るだけではなく、座ったり、椅子の部材作りを体験したりできる『アクションミュージアム』を作ろうじゃないか」と提案した。
21年11月からクラウドファンディングに挑戦し、同12月までに1000万円を超える資金が集まった。埼玉県吉見町から築約100年の古民家を移設した椅子のミュージアムが22年7月に完成。椅子収集家からも提供があって計500脚ほどの椅子が集まったため、今後は「デンマークの椅子展」のようなテーマを絞った企画展示や、子ども向けに椅子の一部分を制作するようなワークショップを計画。将来的には箸やしゃもじなどの日用品作り、さらには刃物を鍛造する鍛冶場整備と、ものづくりの幅を広げる構想も膨らませる。【渡辺薫】