村田沙耶香が追求する「家族」がはらむ翳りとは
2003年に群像新人文学賞でデビューされてから20年。どんなときもまっすぐに小説と向き合い、書き続けてきた村田沙耶香さん。岩川ありささんを聞き手に迎えた村田沙耶香さんのロングインタビュー「小説を裏切らず、変わらずに書き続ける」(「群像」2023年6月号掲載)を再編集してお届けします。
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岩川 二〇〇九年に「ギンイロノウタ」で、第三十一回野間文芸新人賞を受賞なさいました。ここでは家族というものを描いておられると思うのですが、このころ家族をどう描こうとなさったのでしょうか。
村田 子どものころ、小さい子向けの本のほとんどで家族の物語は温かく終結するというか、家族というものが強制的にハッピーエンドになっていく感じに恐怖がありました。両親はいい人ですが、家もぼろぼろで質素な生活をして大変そうなのに、なぜ自分に食事を与えてくれるのか、家族というシステムにお人好しの両親が騙されているのではないかと怖くて申し訳なかったです。
家族って何だろうということにすごく興味がありました。それもあって、家族について何回も書いているんだと思います。また、「ギンイロノウタ」の母親も、もしかしたら自分がなってしまうかもしれない母親像を想像して、その精神構造から人間を作りました。執筆しているとき、主人公にも、主人公の母親にも、自分の断片を極限まで煮詰めて結晶にしたような物体から人間を生成しているように感じながら書いていたのを覚えています。特に母性に対して恐怖感があるんだと思います。
岩川 母性の怖さというのは、どういう怖さでしょうか。
村田 「母性」という言葉を利用すると、美化して美しい物語を付与し、それを楽しみながら人間を徹底的に使えてしまう、家畜にできてしまうという怖さをどこかで感じていました。「母性」という言葉を使って人を美化しながら奴隷にしてしまえるというか。
子どもを産む前から、子宮があるというだけで、女の子は母性があるから、これをやりなさい、と言われる光景をよく見かけていました。女の子は母性があるから小さい子や動物の世話もできる、母性本能があるから料理などの家事もしていると喜びを感じる、介護をすることにも喜びを感じるだろう、だからその役目を与えてあげよう、という光景は私にとっては恐怖でした。
気がついていないだけでそれは絶対におまえにあるはずだという暴力性に、幼少期から怖さを覚えていました。一方で、自分もある場面ではその言葉で誰かを虐げていたかもしれないということもいつも考えています。触れるのが怖い、苦しい言葉です。