【古典俳諧への招待】涼しさや鐘をはなるるかねの声 ― 蕪村
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第37回の季題は「涼しさ」。
涼しさや鐘をはなるるかねの声 蕪村
(1777年の作、『蕪村句集』所収)
「涼しさ」が夏の季題なのは不思議なようにも思えますが、暑い季節だからこそ、早朝や夕方にふと感じる涼しさが貴重なのです。この句には最初の五文字を「短夜や」とした句形も伝わりますので、夜明けの涼しさを詠んだものでしょう。「ああ涼しいことだ。明け方の鐘の音(ね)が、鐘を離れ、次第に遠くへと広がっていく」。清涼な空気を震わせて、ごおんごおんごおんと小さくなってゆく鐘の音の残響を、「鐘をはなるる」と目に見えるかのように詠んだところが秀逸です。
「涼し」という言葉は、宗教的な意味で、迷いのないすがすがしい心の状態を表現する場合にも使われます。蕪村の句の「涼しさ」は、お寺の鐘の音に触発された、仏法による魂の浄化の意味合いも込めていると見ることができます。夏の早朝、鐘の音を聴いて、体感温度とともに心の内も洗われて涼しくなるのです。
「鐘の声が鐘をはなれる」という表現は技巧に走り過ぎるようにも思われます。この時代(18世紀後半)は、芭蕉を表面的にまねた穏やかな叙景句が盛んに作られるようになっていました。蕪村はそうした状況に反発しており、あえて技巧を凝らした句を作っていたのです。この句について「今流行している作風とはいささか違います」とわざわざ解説をつけて門人に送った手紙が残っています。
深沢 了子
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。